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2007年03月30日

話題のあの曲

皆様、いかがお過ごしでしょうか。『華麗なる一族』の原作を読もうと思いつつも、まだ読んでいない龍之介です。他にも面白そうな本が何冊かあり、どれを優先させるかで迷っているところなのです。

先日、YUKIさんの「悲しみを乗り越えない」を拝見させて頂き、それに端を発して、『千の風になって』を聴きました。
紅白歌合戦で一度聴いたものの、改めて聴き直したところ、以前読んだ菊田まりこ氏の著書『いつでも会える』と、雰囲気が似ているように感じました。
『千の風になって』は亡くなった側、『いつでも会える』は残された側と違いはあるものの、両方とも悲しみ決して消えないけれど、それを肯定的に受け止めようと力強く訴えてくるように思えました。また、生と死という越えられない境界線はあるけれども、大切な人を思うことで、その人が目の前にいなくてもいつでもそばにいることができる、という強い気持ちがヒシヒシと伝わってきました。

たとえ、もうこの世にいなくても、その人が心の中で想っている限りは生き続けている。死んでしまったことを嘆き悲しむよりも、共に過ごした日々を思い出してくれれば、魂やはまだ生きているし、生きた証も残っている。心の中で想っていれば、姿は見えなくても魂はつながっているはず。
この曲を聴いている間、祖父を亡くした時のことを思い出したせいか、そんな風に考えていました。もしかしたら、今も近くで自分のことを見守っているのかもしれないとさえ、思えてしまったのです。

ただ、曲の中で語りかけてくる言葉は、特に飾り立てるわけでもなく、至ってシンプルなのにも関わらず、心にずっしりと響き、思わず涙ぐみそうになりました。
相手のことを想う、それだけのことなのに、ひたすら想い続けることでその純度が高められ、それに多くの人が共感を呼んだのではないかと思います。
相手の心に訴えるのは奇をてらったような言葉ではなく、ありきたりであっても、混じり気のない純粋な想いから出た言葉なのかもしれません。私もこのような言葉を紡ぎ出せるような純粋な想いを忘れずに生きて行こうと改めて実感しました。

投稿者 龍之介 : 00:06 | コメント (0)

2007年03月28日

The 引越し

明日この生まれ育った町とお別れ。
霧の幣舞橋、湿原、丹頂鶴の釧路。

2年前から夫と話し合い、息子が高校卒業を待っての事だった。
今住む家は子育てのためと両親との同居のためにと購入したもの。
その両親も他界し、息子も進学で家を離れる事となり、
夫婦二人の夢を叶える事になった。
幸いな事に住宅ローンも5年で返済していた事もあり動きやすかった。
節約主婦の5年間は良くやったな。

明日この愛着のある家を離れる事はやっぱり寂しい。
でも、この家から息子の住む所までは9時間もかかるが、
新居からは2時間。これが本当は決め手かな。

これまでの人生のいろいろな節目は駆け足できたけれども。
人生半ばのこの過渡期はちょっと体力的、精神的には今までと違いきついかな。

だけど、これからも心に優しさと勇気さえあれば進んでいける。

明日玄関を出たら振り向かない。
自分達の選んだ道を前を向いて、ゆっくりとあるいて行きたい。

投稿者 春野桃 : 09:34 | コメント (0)

2007年03月27日

時にはすがすがしく

 私の街はまだ雪が積もっていますが、春の気配を感じるようになりました。
 季節は巡り、私の好きな野球シーズンが始まりました。
 まずは選抜高校野球、そしてプロ野球。お楽しみは、ここに書ききれないくらいあります(笑)。
 それ以外にも、カーリングの世界選手権、フィギュアスケート、シンクロナイズドスイミング、大相撲等、スポーツが賑やかでした。

 話は変わって、今年は選挙の年、なんだそうです。
 私の住む北海道でも知事選があります。他にも北海道議会議員選挙、また自分の住んでいる小さな街でも、市議さんを決める選挙があります。
 自分には関係も投票権もない都知事選のニュースを見たりして、一番身近な市議選についてよくわかっていなかったり、というのが実態ではありますが。
 でも、投票に行くと、案外すがすがしい気持ちになったりもして。
 それがどうしてなのか、ちょっと考えてみました。

 日本国籍を持っている限り、無職だろうと、税金を払っていなかろうと、必ず投票用紙は送られてきます。投票所の入り口で追い返されるようなこともありません。
 また、どんな風に投票したか、誰かに言う必要もありません。そういう意味では自由です。

 自分のためではあるけれど、自分のためではない。
 直接の利害関係がない。でもやる。それも、誰かにやらされるのではなく、自分の意思で。
 公園のごみ拾いボランティアとかに、ちょっと似たすがすがしさ、かもしれません。
 自分の場合、日頃自己中心に生きているだけに、普段あまり経験しない気分がするのかもしれません(笑)。

投稿者 YUKI : 10:01 | コメント (0)

2007年03月25日

気づき

「あなたは、こういう人間なので、こういう生き方をすれば幸せになれますよ!」


このように言ってくれる人を私は何年も探し求め、人生をさまよい歩きました。


しかし、そのような人はどこにもいません。 おそらくこれからも見つからないだろう。


そう思って諦めていました。


ところが、最近になってやっと1人だけみつけました。 
 

それは、「自分自身」 でした。
 

人生の半ばを過ぎて、やっとそのことが分かりました。  合掌


投稿者 ZEN754 : 11:01 | コメント (2)

2007年03月24日

中野ゼロキッズ

佐々木香さんは中野ゼロキッズの代表。
表面はとてもたおやかなのだが、うちに秘めたるパワーの持ち主。
イメージしたことをぐ〜っと実現方向に絞っていく人。
この力と方法をどこで学んだのだろう・・・。
来年はきっと、中野駅近くにある空いた小学校のあとを佐々木さんの夢のとおり
子供達の解放された遊び場となっていることだろう。
今日のイベントを見て
集中力のもつすごさと見せて貰った。
人間なにに集中するかだ。


投稿者 城谷小夜子 : 23:08 | コメント (0)

耳と心とコミュニケーション(2)

2000から8000ヘルツの音は女子高生の嬌声と同じ音域だそうです。
50歳を過ぎると高周波が聞こえにくくなる理由は、聞く必要がなくなるからだといわれています。女子高生の嬌声にわくわくする年齢ではないことは確かです。一般的に、使わない機能は低下していくものです。
また、その音域は子音が含まれています。よくお年寄りと会話をすると、「そんなに大きな声を出さなくても聞こえます」、という返事がかえってきますが、「子音をもっとはっきり発音してください、大きな声は不自然で、失礼ですよ」、というメッセージがふくまれているのではないでしょうか。

そして、高周波は脳にエネルギーを送ります。だから自分の声で高周波を聞く事ができるようになれば、生き生きとした生活を維持できるのではないでしょうか。会話はとっても大切なのです。
不足しがちなエネルギーを補うにはモーツワルトのバイオリン協奏曲がよいようです。小さな音でも力をもらうことができます。反対に、低音は身体にリズムを与えますが、実際、エネルギーは小さいのだそうです。だから、若者は大音量を好むというわけです。

私はというと、静かな部屋で、昔の音楽を廃盤となったレコードで聴いてみたいですね。


投稿者 恵比寿 : 11:52 | コメント (0)

2007年03月23日

自己紹介

初めまして「和尚」です。

30有余年の東京での、いわゆるサラリーマン生活に別れを告げ、仏道を志し4年前50代半ばで
出家しました。

現在は、家内と共に山陰の 大山(1,713m大山隠岐国立公園)の麓の小さな山村で禅寺の
住職を務めています。

昨年、全国webカウンセリングとのご縁に恵まれ、今はメールカウンセリングの傍ら、お寺でも
地域の方々を中心にカウンセリング活動をおこなっております。

これからの時代は、壇務(法事や葬儀)のみならず地域の拠点となるべくお寺づくりが必要と考え、
地域の子供や高齢者の方々との触れあいを少しずつ重ねていくうちに、最近になりやっと地域行事
への参加や講演依頼がくるようになりました。

ブログは初めてですが、日常の、なにげないやりとりの中での悲喜交々を、感じるままに書いてみたいと
思っています。
そして、この日常のなにげない出来事が読んでいただいた方々にすこしでも、いとおしく思っていただければ嬉しく思います。

いつまで、どんな事を書けるかは分かりませんが、微力ながら少しでもお役に立てればと考えて
おります。 

どうぞ宜しくお願い致します。  合掌

投稿者 ZEN754 : 09:22 | コメント (0)

Spring is here.

皆様、いかがお過ごしでしょうか。春分の日を越えて、夜よりも昼が長くなったことを嬉しく思っている龍之介です。
春を感じる瞬間というのは、人それぞれだと思いますが、私は夕方になってもまだ外が明るく、夕焼け空を眺める時間が長くなったと思うことで、「春が来たんだなぁ」ということを最も強く実感します。

また、今週末からプロ野球が開幕し、球春到来(注:パ・リーグのみ開幕で、セ・リーグは3月30日から)となりますし、春の高校野球も開幕するので、野球の世界でも春真っ盛りといったところでしょうか(サッカーはすでに開幕しましたので、ちょっと間に合いませんでしたが)。これもまた、私にとって春を感じる瞬間であります。
ちなみに、今年も日本ハムファイターズを応援します。
新庄や小笠原の抜けた穴は大きく、それを埋めるのは容易ではありませんが、森本稀哲ら若手の成長株が活躍して、少しでもその穴を埋めることを期待したいと思います。
かつて、巨人から東京ドームを間借りしているような扱いをされ、ホームなのに全然ホームじゃなかった状態から脱し、ようやくファンと一体化したホームグラウンドを手に入れた強みをもって、ペナントレースを乗り切って欲しいと願っています。

あと、春を感じる瞬間といえば、冬物のコートから春物のコートに衣替えするときですね。
札幌はまだ雪が結構残っているので、冬物のコートが手放せないのですが、それでも外に出て家に帰ってくると身体は汗をかいており、別に特別な運動はしていないのにいい汗をかいた気分になります。ちょっとしたサウナスーツといったところでしょうか。
こうした、ポカポカ陽気も春の訪れを感じるものの一つですね。このポカポカ陽気を浴びるだけで、心は和むし、新たな希望を抱かせてくれそうな気がします。これも一種の癒しと言えるかもしれません。ただ、あまりにも癒されすぎて、ついつい眠たくなってしまうのが玉に瑕ですが。まさに「春眠暁を覚えず(孟浩然)」といったところでしょうか。
とりあえず、目先の目標はポカポカ陽気によってまどろむことがないように、気をつけることですかね。ついつい寝てしまって、誰かにポカポカ叩かれるわけにもいきませんから。

投稿者 龍之介 : 00:05 | コメント (0)

2007年03月19日

え、スーツなの

夫と息子は大学の先輩後輩となり、二人とも嬉しそう。よかったね。

そんな中、息子の一人暮らしに備え準備を夫とあれやこれやの毎日を過ごし
ちょっと待てよ、入学式ってなに着ていくんだ。もしかしてスーツ。
そうだ、大学生協のウインドに飾っていた。
きっと、スーツね。
電話で確認。
やっぱり、スーツ。
夫の卒業した大学である。夫の頃は高校の制服で行ったそうなので、
うっかりしてしまった。
さっそく、3人で出かけた。
もう、すでにセールものは数少なくなっていた。
きっと入学式ぐらいしか着る機会はないのだからと、その中から選んだ。
ワイシャツ選びになり、濃紺のスーツなので薄ピンクをすすめたが、
即、却下。
高校生頃から、私の選ぶものでは駄目だしが出るようになった。
当然だよね。

子離れ。
出来ていないね。出来てないのに出来ていると言っていてもしょうがないね。
出来ていない自分を認める事は出来ている。
じゃあどうするか。だね。

あんなに欲しかった自分の時間。
やっと出来たんだ。
今まで封印していたやりたい事どんどんやっていこう。
ぼけないようにね。

投稿者 春野桃 : 21:04 | コメント (0)

2007年03月18日

悲しみを乗り越えない

 今回は巷で話題の「千の風になって」のお話です。
 あの詩自体は、以前から本屋さんその他で見かけていたんですが、急に有名になったのは、昨年の「紅白歌合戦」がきっかけらしいですね。
 大切なものを亡くした、重たい、別離の歌。
 最近、この詩が「悲しみを早く乗り越える」ための励ましの歌、といった解釈がされているのを見かけて、同じ歌でも、聞く人によって全然違う意味を持つんだなあ、と改めて感じました。

 自分にはこんな風に聞こえました。
 『ずっとそばにいるよ。
 遠くにいってしまったんじゃないよ。
 私は世界と1つになってここにいる。この世界がある限り、消えてなくなることはない。
 だから私のいるこの世界を愛してほしい。
 それを希望の代わりにして、あなたは生きていってほしい。』

 失われたものは、2度と戻ってはこない。
 それだけじゃなく、この世のどんなものでも代わりにはなれない。欠けた心を埋めるものは無い。
 癒すことのできない悲しみだってある、なんていうと嫌な顔をする人もするし、それはそれでいいけれど。
 忘れることだって1つの選択だけど。

 「こうしなきゃいけない」とか「こうしちゃいけない」とかいうと、人は苦しくなる。
 「忘れなきゃいけない」とか「悲しんじゃいけない」とかじゃなくて、どちらもありなんだよ、と。

 個人的には「悲しみを乗り越える」っていう言い方を聞くと、ちょっとヤなんです。
 なんか「踏み越える」って言ってるみたいだし(笑)。悲しみを大事にしたっていいじゃないか、って。
 要するに、どちらが尊いとかじゃなくて、1つの選択かな、と思いました。

投稿者 YUKI : 11:34 | コメント (0)

2007年03月17日

お彼岸

城谷小夜子です。
春のお彼岸ですね。今日夫とお墓参りに行ってきました。
一周忌の法要は八月四日と決まりました。
娘の結婚相手のご両親祖父母とお会いし、
明るい家族で嬉しくなりました。
純ちゃんは四人兄弟の長男。
兄弟けんかを見たことがない、
ということと、
純ちゃんが荒げた声を聞いたことがない、
ということと、
両親の祖父母に優しい、ということ。
娘の持って生まれた運命なのだが、
よかったな、と思った。
小百合、純ちゃんちのお墓にお参りして、「よろしくお願いします」と
ご先祖様にご挨拶してくるんだよ。
この世とあの世は繋がっていることを
ついに
身をもってしってしまったので、
娘のあなたに、結婚の持つ深い意味を
知って欲しいと思っています。
繋がっていく命です。

投稿者 城谷小夜子 : 17:12 | コメント (0)

2007年03月16日

本選びのポイント

皆様、いかがお過ごしでしょうか。引き続き、百人一首を勉強中の龍之介です。上の句を聞いて、何とか下の句が出るようになりましたが、その過程でまだ時間がかかっております。パソコンで例えるとナローバンドといったところでしょうか。ブロードバンドにはまだ遠いようです。

さて、何か本(特に小説)を読みたいと思っていても、「どんな本がいいか分からない」という経験をしたことはありませんか? そんなとき、私はある条件を満たした本を優先的に選ぶことにしています。
それは、実写化された作品を読むというものです。つまり、ドラマ化された作品や映画化された原作本を読むのです。
そのことで文中の登場人物が演じた役者へとイメージ変換しやすくなり、「このシーンはドラマで見た」と、その場面を容易に想像することもでき、スムーズに読むことができます。
また、原作との相違点を楽しむのも醍醐味の一つです。特にドラマの主役と原作の主役が違うケースが多く(松本清張の『砂の器』や東野圭吾の『白夜行』などこのケースは幾多もある)、この人物の視点から見たらこういう感じになるのかと、別の角度から作品を堪能できます。
ただ、これはあくまでも映像化されたものを先に見たから楽しめるものであって、先に原作を読んだら、「原作と違うし、全然作品の良さが伝わってこない」と憤慨する可能性が高いので、あらかじめご注意ください(宮部みゆきの『模倣犯』は原作を読んでから映画を見たため、ラストシーンに愕然とした覚えがあります)。

尚、一つ気をつけなければならないのは、ドラマ化されたものは全部終わってから読むということですね。ドラマの途中で読むと先の展開が分かってしまい、興味が削がれてしまう恐れがあります。過去に『白い巨塔』でそういったミスを犯してしまい、途中で財前教授が死ぬことを知ってしまって、ショックを受けた覚えがあります。
あと、ドラマの最後を締めくくった「なお、自ら癌治療の第一線にある者が早期発見できず、手術不能の癌で死すことを心より恥じる」という印象的な言葉ですが、原作ではその言葉を最後に締めくくっていないのです。だから、ドラマを見たときには「そう来たか!」とちょっとしてやられた気分になりました。

ちなみに、今私が読もうと思っているのは『白い巨塔』と同じ作者である山崎豊子の『華麗なる一族』です。何となくドラマを見ているうちに、重厚なストーリー展開にすっかりはまり込んでしまいました。原作では鉄平(木村拓哉)ではなく、大介(北大路欣也)視点で話が展開しているとのことなので、その辺でドラマとの相違点を味わってみようかと思います。

投稿者 龍之介 : 00:01 | コメント (0)

2007年03月15日

耳と心とコミュニケーション(1)

3月3日、耳の日、渋谷で耳に関するシンポジウムがあり参加しました。
耳について、興味深いお話を聴くことができました。

声には、魅力的な声と聞きたくない声があります。声を聞いてもらう職業の人は、特に、気をつけなくてはなりません。
もし眠りを誘う声を発声していたとしたら、相手の集中力を欠いてしまいます。また、生気のない声では相手の活力をも奪ってしまいます。
もし、相手が自分の声に嫌な印象を感じていたとしたら、どんなにすばらしい内容の話をしていても聴いてもらうことができません。
よい話し手になるためには、よい聴き手になることがポイントだそうです。
自分の声を最初に聞く人は相手ではなく自分自身です。
自分の声は空気を伝わって相手の耳に入る前に、骨を伝わって自分の耳に入ります。
わたしたちは、話しながら自分の声を聴いているのです。

そして、だれでも工夫次第で魅力的な声をだすことができるそうです。
正しい発声は、正しい姿勢から生まれます。
実際に、発声のワークショップをやりました。
骨を伝わる音、骨伝導の声を出すと
小さな声でも、しっかり相手に伝えることができるのは驚きです。
聴いている相手を考えずに、大きな声を出している自分が恥ずかしくなりました。
怒鳴る必要が無くなれば、人間関係はもっと豊かになるのではないでしょうか。

相手に響く声で互いに話をすれば、それこそ共鳴する関係ができます。

互いに響きあう関係が本当のコミュニケーションだとつくづく思いました。

投稿者 恵比寿 : 22:24 | コメント (0)

2007年03月11日

幼なじみ

今日息子の幼なじみの子が久しぶりに顔を出してくれた。
ずいぶん見ないうちにすっかり青年になって。
でもあの幼稚園の頃の面影がのこっていた。
「おばさん、僕もう船に乗っているんだよ。」
建築関係の道を夢見ていた彼が親の後を継ぎ漁師さんになっていた。
「筋肉痛でシップ貼っているよ」とにっこり。
「今年は慣れていないから、来年の夏には泊まりに来るね。」と約束をし帰っていった。
幼稚園の可愛いお遊戯会の二人が懐かしく思い出されました。

外で元気に遊びまわっていたわんぱくな子達が一歩踏み出そうとしている。
どうか、そんな若者達を育てる社会でありますように。
だって、失敗も励ましてあげることで力になる。
頑張れる。

進む道はそれぞれ違っていても、いつまでも友達を大切にして欲しい。
なによりの人生の財産だから。

投稿者 春野桃 : 20:24 | コメント (0)

伝わるもの

 年に1度、毎年見ているNHKの歌番組があります。
 紅白ではありません、念の為。
 「のど自慢」のグランドチャンピオン大会です。
 毎週日曜日に各地で行われている番組の中で合格し、チャンピオンになった人の中から、さらに選ばれた人達が、NHKホールで熱唱します。
 昨晩はこの番組を見ていました。
 出場する人達は皆、プロより巧いくらいです。でも、もちろんプロではありません。普通の人達です。
 そんな人達が、あんなすごいステージの真ん中で、「一生に1度」と思って歌うのですから、その実力とあいまって、感動しないわけがありません。
 多分、その人だけの大切な人、大切な記憶、大切にしてきた思いを込めて歌うのでしょうね。
 見終わった後は、なんとなく心が柔らかくなった気がしました。見たことがない人にはオススメの番組です。と言っても、次回が放送されるのは1年後なんですが。

投稿者 YUKI : 13:00 | コメント (0)

2007年03月10日

待つ女から竹取物語へ

城谷小夜子です。
大阪そごうホールで3月3日、小松左京作品「待つ女」を語りほっとした途端
4月7日に吹田で、「吹田版竹取物語」を浄瑠璃の弾き語りでというお話をいただいた。
「ことわらない」、と決めている。
5月に近松門左衛門の新作があるのでちょっと無理かとも思ったのだけれど
出来ない仕事はやってこない、と思うので
作品作りに取りかかりました。
6日に本ができあがり、それを15分程度の創作浄瑠璃に作り直します。
今日、篠田先生の手伝いを得て完成。鼓のかほちゃんに台本を送ることができた。
明日は1日、娘の結婚のことで動き回るので、
12日に作曲。
13〜15日は金沢出張。この間にせりふ覚え。
16日に花帆ちゃんちゃんと打合せ稽古。
こんなふうに毎日が過ぎていきます。

投稿者 城谷小夜子 : 23:28 | コメント (0)

2007年03月09日

イメージの束縛

皆様いかがお過ごしでしょうか。レミオロメンの「3月9日」が好きな龍之介です。
レミオロメンと言えば、「粉雪」が代表曲ですが、私は「3月9日」でレミオロメンの存在を知り、また歌詞がとても印象深かったので、こちらの曲の方が好きです。
色々とうまく行かないことが多い世の中ですが、空を見てそれさえも小さく感じられるように生きられたらいいなと、この曲を聴くたびに思います。

さて、早速ですが、前回出した問題の正解発表です(問題見てない人はこれを読む前に『時を越えて得る共感』を読んで下さい)。

さて、何でも変身することができる魚を発見したAに対して、BはなぜAの説を否定したのでしょうか。
正解は、「ありとあらゆるものに変身する生物が魚であるとは限らない」からです。
要するに、そのとき魚に変身していただけで、本当は花かもしれないし、蝶だったのかもしれないのです。ただ、そのとき見たものが魚だったがために、Aは魚が変身したものだと早合点をしたわけなのです。
Bがそれを指摘したためにAも納得したとのですが、答えを考えてくれた皆様はこれで納得して頂けましたでしょうか。
「言われてみればそうか」と呆れる方も、「何だそんなことか」とご立腹の方もおられるでしょう。でも、私はそれで納得してしまったので、こうして問題として出しました。悪しからず。

ただ、この答えを聞いたとき、「木を見て森を見ず」というのはこういうことなんだろうなと感じました。魚が変身したという局所的なもので、全体像を見た気がして、実は「別のものから魚に変身した」という本当の全体像を見失っているのですから。
ただ、最初の印象にとらわれて、それが自分のイメージとして形成(先入観として形成)されてしまい、やがて固定観念となってしまうというのは、とても恐ろしいことかもしれません。
日常生活でも、見た目の印象だけで、「この人はこういう人だろう(推定)」と判断され、本人の意思とは関係なしに、いつの間にか「この人はこういう人だ(断定)」と勝手に位置づけられるかと考えたら、とても不安な気持ちになります。
この問題をきっかけに、改めて先入観だけで人を判断していないか、自分自身に対する戒めのようなものを感じました。
人は見た目が9割とか言われていますが、決してそれが全てではないのですから。

投稿者 龍之介 : 00:02 | コメント (0)

2007年03月07日

命の洗濯

息子のマンション探しの帰りに足を伸ばし温泉に一泊して来ました。
息子が小さなころにはよく出かけたものですが、この数年いかなくなっていました。
せかせかした日常を忘れのんびりとできて心地のいい時間を過ごし、
ぼさーとしながら、湯船につかり遠くを見ているとすっきり爽快。
久しぶりに家族3人川の字で眠りました。
ほのぼののんびりと命の洗濯。

もともと私はおっとりした性格でしたが、結婚して子供が産まれてからは
一変してせかせかとしがちの日々になっていました。
これからは夫との二人暮しになるので一息入れてゆっくりいこうかな。
でもね、下宿するものだと思っていたら自炊生活なので栄養状態が心配。
やっぱり美味しいものを作って冷凍食品にして持っていかなくてはね。
食事だけはまだまだ私の出番でいいよね。
あとはなんにもしてあげられないね。

あしたは合格発表の日。
よく頑張ったね。
満開の桜が咲きますように。

投稿者 春野桃 : 00:39 | コメント (0)

2007年03月04日

節目の時期

 3月になりました。
 宮沢賢治さんの「ゆきわたり」というお話、ご存知でしょうか。小学校の教科書に出ていたので知っている、という方もいるのではないかと思うのですが。

 かたゆきかんこ、しみゆきしんこ、……

 主人公の子供らが、冬の夜に歌います。
 私の街でもこの時期になると、朝晩は雪が大人の体重を支えられるほど固くなり、「かたゆき」の状態になります。
 雪の降り積もった場所なら、どこまでも歩いてゆけるようになります。
 そんな時に、冬の森を歩いてみたい。
 今のところ、思っているだけですが。それに、今年は暖冬だったので、冬眠明けの熊が出てくるかもしれませんね。

 3月というのは年度末でもあり、巣立ち、卒業、新たなる旅立ち……といった言葉を何かと聞く時期でもあります。
 こうした言葉を聞くと、自分は逆に気分が重くなる方なんですが(笑)。
 時間が経つということを嫌でも意識させられるので、なんか切ないというか、寂しい気分になっちゃうんですよね。元来後ろ向きな性格なのかもしれません。
 物事は放っておいてもいつかはみんな終わってしまう。だったら、ことさらに強調しなくたっていいじゃないか、と思ってみたり。後ろ向きというより単にひねくれ気質でしょうか。
 春という季節は好きなんですよ。雪が解けて春の風を嗅ぐと、なんか懐かしい気分になります。北海道の春って、長い冬の後に来る特別な季節ですから。
 寂しくて、かつ懐かしい。要するに、自分にとってそういう季節が近づいています。

投稿者 YUKI : 12:36 | コメント (0)

2007年03月02日

卒業式

昨日は息子の高校の卒業式に夫と共に主席しました。
待ち時間には、いつも夫と聞いているカーペンターズの曲が吹奏楽での演奏で流れていました。
なんだかいろんな事が思い出されて、始まる前から泣けちゃいました。
式が始まり、校歌斉唱は若者達の澄んだ瞳と声が
最後は蛍の光を聞いたとたんにもうクライマックス。
こらえていた涙が、周りからもすすり泣きが聞こえこれまたお仲間。
やっぱり、高校の卒業式は別物。
大きくなった喜びも大きいけれども、卒業=巣立ちです。
18年間の暮らしが変わっていっちゃう。

来週には息子と夫と私とで、息子の大学の地へと行き、一人暮らしのための
マンションの下見へ行きます。
とうとうこんな時期がきちゃった。

思い出すよね。幼稚園の頃、小学校の出来事、中学校の頃と、次々とね。
可愛かった。
あの子がね。一人暮らしするんだね。
ほんと、こんな日がくるんだね。確実に。

寂しいよね。
でも、
昨日は終わった日、明日はまだ来ない日。
今日を誠実にすごす。

また新たな生活を楽しんで暮らそう。

それにしても、いい学校でした。
なんといっても、先生方の愛が一杯で、
生徒との交流が暖かでした。
人は愛で育つもの。感謝感謝の一日でした。

投稿者 春野桃 : 14:20 | コメント (0)

時を越えて得る共感

皆様、いかがお過ごしでしょうか。現在は小倉百人一首を勉強している龍之介です。
参考文献として、『田辺聖子の小倉百人一首』を読んでいる最中なのですが、とても丁寧な説明であるため、分かりやすく勉強になります。

個人的には、紀友則の『久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ』という句が気に入っています。
意訳をすると「のどかな光が射す暖かい春の日なのに、桜の花びらだけは静かな心もなく慌ただしく散ってしまう」というもので、せっかくの春なのに、どうして桜はそんなに早々と散ってしまうのかという嘆きが、心にずっしりと響きました。
私自身、毎年桜を見ては、せっかく咲いてもすぐに散ってしまうために、何とも儚いと感じています。そのため、時代を越えても桜に対する惜別の情は変わらないんだなという共感を得られたのが、好きになった一因かもしれません。
もうそろそろ、桜の季節(北海道はまだ先ですが)。今年もそんな思いで桜の花びらを見つめるのでしょうか。その前に、全国の受験生のサクラが咲くのを待つとします。

さて、先日、友人からあるクイズを出され、それが印象深かったので、ここで紹介したいと思います。
「ある探検家Aがジャングルの奥深くを探検していたところ、今までに見たことのない魚を発見しました。その魚はあるときは鳥に変身することができ、あるときは豹に変身するなど、ありとあらゆるものに変身する能力を身につけているのです。そして、Aはその場面をビデオカメラに撮影することに成功しました。後日、このビデオを別の冒険家Bに見せたところ、Bは『そんな魚はいない』と即座に否定しました。しかし、Aは間違いなく変身している画面を撮影したし、画面に一切の編集を加えていません。それなのに、なぜBはAの説を否定したのでしょうか」

Aは嘘をついていないし、幻を見たわけではありません。ちゃんとカメラには魚が鳥になるシーンが映し出されていました。当然、CGでもアニメーションでもないですし、ヤラセでも捏造でもありません。
また、Bが嫉妬したために、ムキになって否定しているということもありません。ちゃんとした理由をつけて、後にAを納得させています。果たして、それはどんな理由だったのか。

私はなかなか答えが分からず、結構苦戦しました。そのため、すぐには正解を発表しません。次回に持ち越します(笑)。ちょっと時間のあるときにでも考えてみて下さい。
一つだけヒントを出すとしたら、「固定観念と先入観に縛られないこと」ですね。

投稿者 龍之介 : 00:03 | コメント (0)

2007年03月01日

人生とは・・・

夫婦二人になった今、暮らしのことを考えた。
東京に一人で出てきて、はじめ新宿の四帖半のアパートに一人暮らし。
一年して信濃町に引っ越した。六帖と三帖の台所。お風呂はなかった。
彼と一緒に行くお風呂屋さんが嬉しかった。
結婚した次の日から稽古で新婚旅行も行っていない。
10回落選者優先で立川の公団が当たった。六帖、三帖、四帖半の台所、お風呂、バルコニー。
妊娠中の引っ越しだった。わたしは急に一軒家に住みたいと思った。
「そうだ、彼のお義母さんと同居するんだ」
妊娠九ヶ月で家を探しに歩いた。松戸に決めた。
2月21日に娘が産まれた。5月に松戸に引っ越した。
立川にいたのはホンの8ヶ月ほどだった。
生まれて3ヶ月の小百合とわたしは電車に乗って松戸に行った。
義母、娘、夫そしてわたしの生活。
12年前に脳梗塞で倒れた義母は、
7年前から完全に寝たきりとなり、わたしは劇団を辞めた。
自分でNPO法人を立ち上げ舞台活動を独自に始めた。
毎日、ヘルパーさんが3交代で入り、毎週お医者さん、看護婦さん
歯医者さん、お風呂屋さん、と人がいやになるほど出入りした。
義母の状態はますます悪くなり、介護と活動の両立が困難と思い、
いよいよ介護に専念しようと決めた途端・・・
義母は亡くなった。去年の8月16日のこと。
3人家族になった。
それから半年。
今度は娘がばたばたと引っ越した。結婚の日程は決まっていないが、
娘が家に戻る日はない、とはっきりいった。
結婚して26年。
ついに夫婦だけになった。
一人っ子なので一人で生きていけるように願っていた。
そういう意味では
自立してくれたのだから
望みがかなったといえる。
しかし、このさびしさは、多分、世代が交代したことの実感もあるのだろうとおもう。
人生って、
こんなに短いのね。
減るのはさびしいね。
毎日介護してへとへとしていた頃が
今は懐かしい。
こうして皆思い出の彼方へ去っていく。
毎日を大事に暮らそう。

投稿者 城谷小夜子 : 18:59 | コメント (0)