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2007年02月25日

1週間が過ぎて

 時間が経つのって早いですね。
 私がぼんやりしていただけなのかもしれませんが。
 このブログに何を書こうか、思いつかないうちに1週間が過ぎてしまいました。
 「武士の一分」とか、話題の映画を見に行くとかすれば、感想を書くということもできたんですよね。最近邦画が好調という話も聞きますし。
 流行のものは敬遠するという癖があるため、だいたいいつも流行には遅れています。
 今では大好きな「ハリー・ポッター」シリーズも、読み始めたのは映画版ができた後でしたし、インターネット発の「電車男」なんかも、映画化やドラマ化もされましたが、見たのは漫画版だけ。
 興味がないわけではないのに、遅れてしまう。「お先にどうぞ」とか「後でいいや」というのは北海道人気質らしいので、自分も北海道人だからでしょうか?

 最近見ているのは、韓国ドラマ「チャングムの誓い」だったりします。
 もともとは、母が見ていたのを、後ろでチラチラ目にしているうちに引き込まれてしまいました。
 ちょうど今年になってから、衛星放送で完全版の放送が始まったので、最初から見ることにしました。
 そのうち感想なんかも書こうかな、と思います。
 食べることが大好きな自分は、韓国の宮廷料理にいつも目を輝かせています。「チャングムの誓い」展というのが以前札幌かどこかのデパートでも開かれていたんですが、もしも「チャングムの料理」展だったら出かけていたかもしれません。
 それにしても、凛とした花のようなチャングム役の女優さんが、実は30代半ばと知って驚きました(笑)。

投稿者 YUKI : 12:41 | コメント (0)

2007年02月24日

息子

二日前に受験地へと向かった息子。
駅まで送った帰り道、息子の誕生した翌朝のすがすがしさを思い出した。
退院してきた日は一日中抱っこしていたな。
小さく生まれた息子、体力のあった新米ママの私。
早く大きくなる事を願い夢中で育てたあのころ。
気が付けば今では身長185センチ、足は28センチの頼もしさ。
思えば私の人生での一番幸福な出来事でした。
そんな息子も大学受験。
あと何年は一緒に暮らせるなんて思っていましたが、
もう4月には手放す時期が来ます。

でも、こうして息子が留守をしていますが思っていたより寂しさを感じません。
自分でも意外です。夫と二人きりの生活はそれなりに楽というか手抜きが出来る。
それなりになんとかなんでもなっていくものですね。

昨日息子に電話で美味しいもの情報を教えると、
「母さん遊びに来たんじゃないんだよ。」とたしなめられました。
最近はわたしの方が教えられる事も多く、負けずに勉強しなくてはね。

なんだ頼りなかった息子も、今では大きな存在となって。
時期がきたらみんな巣立ったいくものなのね。

反面、私の母の気持ちが最近になって分かりました。

明日は受験日。みんな頑張ってね。
どこに離れていても、いつも、どこでも応援しています。

投稿者 春野桃 : 12:00 | コメント (0)

2007年02月23日

畳の上での熾烈な争い

皆様、いかがお過ごしでしょうか。引き続き勉強中の龍之介です。
ただ、日本史よりも古典文学の方に興味の対象が変わり、今は百人一首の句を再び勉強している最中です(全ての句+作者名を覚えようかと)。
小学生の頃に百人一首の大会に出て優勝したことなど、ついつい思い出に浸っている間に、ここで問題です。

北海道の百人一首は、本州で行われる百人一首のルールとは大きく異なっております。さて、何が大きく異なっているのでしょうか?

それでは正解です(シンキングタイム中に思い出に浸り終わりました)。 
本州の百人一首は上の句を呼んで下の句が書かれている札を取る方式ですが、北海道では「下の句かるた」の名の通り、上の句は読まれず下の句だけが読まれ、厚みのある木でできた札を取る方式になっております。これが最たる違いです。
上の句から推測して、そこから下の句を取るという記憶力は要求されません。その代わりに、表面に古風な崩し字で下の句が書いてある札を取らなければならない(中にはパッと見で何て書いてあるか分からない木札もある)ので、それが何と書いてあるかを判読する読解力が求められます。

要するに、「秋の田の〜」と詠んだ直後に、「わが衣手は 露にぬれつつ」の札をパッと取るものではありません。上の句を一切排除しているので、いきなり「わが衣手は〜」と詠まれ、それが書かれている木札を取らなければならないのです。若干、記憶力も必要とされますが、それ以上に判断力と瞬発力が求められる、スポーツ的要素の強いものとなっております。

小学生の頃は、家の近くの児童館に百人一首が置いてあり、冬場はよくやったものでした。
また、学校でも特別授業の一環として、百人一首を実践していました。
古典文学に親しむという意味合いもありますが、同時に瞬発力や判断力を鍛える意味合いもあり、脳の活性化にも打ってつけではないかと思います。脳トレブームの昨今でも、盛り上がること請け合いです。ちなみに、私はそのおかげで瞬発力を知らず知らずのうちに養った気がします。あと、手首の強化にも役に立ちますよ。
惜しむらくは、ちょっと時期が外れてしまったことでしょうか。本来なら正月にやるイメージが強いですし。ただ、古典文学に触れる機会が少なくなった昨今、何らかの形で親しめるような形を作って欲しいものです。

投稿者 龍之介 : 00:01 | コメント (0)

2007年02月20日

なにかいつも憂鬱さを抱えてたなら

親からいい子だねって言われたい。
友達からあの人いい人だねって言われたい。
”みんなを喜ばせるために明るくしなくちゃ
(私の気持ちなんて問題じゃない。周りの人が楽しむ事の方が大事なんだ)”
全ての事に対して常識に囚われってしまった時、
憂鬱さが心の奥底によどんでくる。

常識ってなんだろう。

誰かの期待に答えるためにこの世の中に生まれてきたんじゃない。
自分自身を生き抜くために存在している。

いい子でいるうちに本物の感情に気が付かなくなってしまう。
憂鬱さを抱える。
過去と他人は変えられない。じゃあどうする。
私の感情、行動は変えられる。

誰かから教えられたやり方ではなく、自分自身のやり方でいいんだよ。
今ここで感じること・考える事・行動でいいんだよ。
いつも同じでなくっていいんだよ。
失敗しったってそこからなにかをつかめればいい。

今ここで
自分自身を背かずに。

投稿者 春野桃 : 10:39 | コメント (0)

2007年02月18日

感情について

 今朝は人の感情というものについて、あれこれと考えていました。
 ほとんどが「怒り」というものについてなんですけど。
 理不尽な目にあったら、誰だって普通は怒りますよね。じゃあ逆に、理不尽な怒りを向けられた時はどうすればいいんだろう、と。
 どう考えても、自分は悪くない。でも、相手は怒っている。それはあんまりだろう。
 そういう時、どう対処するのがいいのか、色々考えていました。

 こちらも怒ってみてもいいわけですし、大抵はそんな風に対処しちゃうんですが、どちらにしてもやりきれなさは残ります。
 結局は飲み込むしかないのかなあ、って(笑)。

 子供の頃は、たまには思い切り怒ってみるのも気持ちがいいと思ってたりしました。
 怒っている時というのは、自分が正しいんだと信じてましたから。
 正しいことをしたり言ったりするのは気持ちがいい。
 でも、実際にはそうでもないんですよね。
 誰も悪くはない。
 そんな時もあります。
 自分が不快な思いをしたら、それは相手が悪い。
 そんな風に考えるのは、子供っぽい勘違いですよね。

 例えば、今日は家族に対して腹を立てた。その理由を言葉にすることはできるけれど、でも考えてみると、怒るほどのことじゃない。
 なんだか今朝は疲れていて、感情のコントロールができなかった。怒ったことに、理由なんてなかったのかもしれない。
 そういうのが、多分普通のことなんだと思います。
 不条理に怒る姿や、悲しみに打ちひしがれる姿は、時として美しいものです。
 でも、わたし達が日々感じているさまざまな感情のほとんどは、そういうものではなくて。自分も他人も、案外自分の感情をコントロールしきれていないんだな、と。人と付き合う時というのは、そういうのを理解しておいた方がいいのかな、と。
 最近そんな風に思いました。
 「立派な大人」から見れば、何を今更とあきれるような常識なのかもしれないですけどね(笑)。
 でも、常識って忘れやすいし。

投稿者 YUKI : 15:07 | コメント (0)

2007年02月17日

変化の季節

城谷小夜子です。
今日一人娘が旅立ちました。
わたしは朗読の会のため、引っ越しを手伝えず、ちょっとうるうるしながら出かけました。
去夏、義母が亡くなり、娘がいなくなった・・・。
遂にいつか来ると思っていた夫との二人暮らしが明日から始まります。
「そうよ、最後はね夫婦よ!」
「よかったじゃない」
わたしの友達達はわたしに冷たい。
「そうなんだよね、娘が自立してくれることを望んでいたのだし、
家族が一人減ると思わないで
息子が一人増えると思えばいいのだ」
あちらのご両親ともまだお会いしないうちに
若い二人は部屋を見つけました。
結婚を前提とした婚前同居。
1年も前から一緒に住むことを決めていて、
毎月3万円ずつ貯金して10ヶ月で60万円貯めて、
それを資金に東京本所に小さなマンションを見つけました。
自立している二人だよね。

今夜は二人で夕食を食べました。
夫が作ってくれたメニューは
あじを3枚におろして、しょうがと大葉をつけた”あじのたたき”、烏賊のバター焼き、麻婆豆腐、わかめのみそ汁。
おいしかった!
「これから土日と平日1日くらいは一緒に夕食食べようか・・・」とわたし。
「そうだね」と彼。
わが相棒のかっちゃん、これからもよろしく!

若い二人に乾杯!

投稿者 城谷小夜子 : 19:59 | コメント (0)

2007年02月16日

21世紀の文学

皆様、いかがお過ごしでしょうか。今のところ風邪を引かずに済んでいる龍之介です。
ここ数日、ちょっと体がだるく、喉も痛かったのですが、どうやら何事もなく持ち直したようです。これも先日無病息災を願って食べた恵方巻のおかげでしょうか。とは言え、油断は禁物。引き続き、ケアを怠らないようにします。

突然ですが、ここでクイズです。
「昨年夏から自身のブログを始め、先日、そのブログをまとめた本を出版したテレビで人気のキャラクターは誰?」 (答えは後述)

さて、あれから引き続き、日本史の勉強をしているところなのですが、高校生のときにあまり関心がなかった文学史に今更ながら興味を持ち始めました。
そこで改めて気がついたのは、日記文学の多さでした。平安時代の国風文化だけでも『土佐日記』や『蜻蛉日記』、『紫式部日記』など、数多く存在しているのですから。
まさか、それが千年以上も後の学生を四苦八苦させているだなんて、当時の人たちは全く考える由もないでしょうね。果たして、天国にいる作者の方々はどう思っているのでしょうか。もしかしたら、言葉遣いも微妙に違っていることから、時折間違ったニュアンスで用いられているのを苦笑いしているのかもしれませんね。「このときの私の気持ちを全然分かっていない!」って、誰かが怒っていなければいいのですが。

現在の日本においては、ブログが日記文学の代表的な存在かもしれません。
最近では、ブログの書籍化も多く見受けられますし。現在放送中の「きらきら研修医」もブログがきっかけでドラマ化されたわけですし、これからはブログが新しい文学のスタイルになりそうな気がします。読む媒体が書物からパソコンになるという点では、ちょっと複雑な気持ちもあるのですが。
ちなみに、一番驚いたのは、あのガチャピンもブログを書いていたということです(これがクイズの答え)。運動神経が抜群な上に、ブログまで書けるなんて(しかも毎日更新しているし)、彼に弱点はないのでしょうか。ただ、キー入力は一度に3つのキーを同時に押すなど難儀しているようです。ブログの女王・眞鍋かをりに強力なライバル出現といったところでしょうか。

いずれにせよ、今後ブログが一つの文学として定着して、教科書に載る日も遠くないかもしれません。そして、何年後か、何十年後か、何百年後かは分かりませんが、未来の受験生を悩ませる可能性もありえそうです。ただ、そのときに、作者の誰かが「私の心境を分かっていない!」と怒らなければいいのですが。

投稿者 龍之介 : 00:04 | コメント (0)

2007年02月12日

人は変われる

数年前ある教科書に衝撃を受けました。
その前文には”この学びによって自分を変えることが、
可能だということを知り、さらには、
実際に自分で自分の感情・思考・行動を変えることが出来るようになる。”
と、書かれていた。これだと私は思った。
内容的にはぜんぜん難しい事もなく、本によって癒されいく自分がいた。

よくあの年になってからはもう変えられないよなんていうことを耳にするが、
そんなことはない。
人はいつからでも、どこからでも、変われる。なりたい自分になれる。

あきらめずに、こうなりたい、変わりたいと思ったなら変われる。
そしてイメージすること。
自分は自由な存在なんだよ。
自分自身のやり方、感じ方で表現していいんだよ。
子供のころのように、天真爛漫さを思い出して。

もう今年も早いもので2月も中旬になりました。
今年はここを変えたいと思っているあなた
囚われているものから自由になってくださいね。
考え方を少しずつ変えていけるといいですね。

私自身コチコチの心をずっと抱えていました。
そんな私でも心の自由の開放感を得られました。
学ぶ事は何歳になっても続くもの大切なツールです。


投稿者 春野桃 : 14:22 | コメント (0)

2007年02月11日

空間定位(3)

 上下、前後、左右の三次元をヒトはどのように感知しているのだろうか。
重力や加速度を感じる感覚器官は10億年前のクラゲに備わったという。

 ヒトは三次元をひとつの器官で感知するのではない。
平衡感覚器官は、前庭器とよばれ、球形嚢が上下、卵形嚢で前後を、垂直、水平、回転は三半規管で感知している。
そして、驚くべきことに、前庭器は、音を聞く蝸牛と結合している。
音は時間の経過で変化するものだ。
ふたつを併せ持つことによって、聴覚器官は、三次元空間に時間軸を加えることができる。
したがって、時間と空間を統合する感覚器官は聴覚器官であるといえる。 

 また、聴覚は自分と外部の音をモニターするとともに、自分の動きをモニターしている。
そして、社会環境にあわせてスキャンをしているために、環境が変われば、それまでのやり方が癖となる。新しいやり方でスキャンをしなければ、音と動きのモニターはうまく働かなくなる。


 


 
 

投稿者 恵比寿 : 20:54 | コメント (0)

チョコレートの日

 もうすぐ聖バレンタインデーですね。
 街へ出かけると、スーパーでもコンビニでもたくさんのチョコを見かけます。
 「サロン・ド・ショコラ」という国際的なチョコレートの祭典が、今年は札幌のデパートで開かれている、というニュースを見ました。
 菓子職人さんの技って、本当に繊細なものですね。

 私の地元は田舎ですが、お菓子屋さんは結構おいしいと思っています。都会のお店ほどきらびやかではないですが、味はなかなかだと思います。
 この時期になると、バレンタインのチラシを眺めるのが楽しみです。趣向を凝らしたチョコレートやチョコレート菓子を見ながら、つくづく思うようになったのは、実際にこれらのチョコを食べるのが、「チョコレートが特別好きではない」という人だったら、もったいないということ。
 いっそ、2月14日は、チョコレートの好きな人が自分のためにチョコを買う日、と変えてしまってもいいのではないでしょうか。
 本家のバレンタインとは随分ずれてしまうかもしれませんが、もともと日本のバレンタインはちょっと違うみたいですから(笑)。

 「自分のためだけに時間やお金を使う」というのはちょっぴり贅沢で素敵なことだと思うのですが、ともすれば冷ややかな目で見られがち。
 そんな世の中で「チョコレートの日」があったら、誰にも遠慮することなく「自分のため」に過ごせる時間として、有効に作用すると思うのですが。

 最近は自分のためにチョコを買う「マイチョコ」や友達同士で送る場合もあると聞きました。
 一粒のチョコレートが与えてくれる至福のひとときは、日常を一旦離れて、「人生とは何か」なんてことを考える時間を与えてくれる、かもしれません。
 最後にまた、好きなまんがからの引用です。
 『日々のささやかな喜びというものも必要ではないですかね。甘いもの、美しいもの。無駄に見えても心が潤います。』

投稿者 YUKI : 11:04 | コメント (0)

2007年02月08日

二人のママ

城谷小夜子です。
JR三ノ宮駅から歩いて6分ぐらいのところに「文化の交差点=あいり」さんというお店がある。
ママは金髪で、骨董大好き人間。
気楽に、いつもママに逢いにお店に行く。
JR須磨駅から須磨寺方向に歩いて5分。「画廊喫茶=あいうゑん」さんがある。
このオーナーも、いつ昔の着物を着ている、骨董大好き人間。
二人とも共通しているのが、人間大好き。お金儲けできない、考えないオーナー。
「人」という財産をい〜っぱいもった2人。
惜しみなく骨董品をお店で使い、そうするとまたいろんなものや人が集まってくる。
あいりのママには着物を貰い、3月3日の舞台まで紹介して貰った。
※(ちょっと宣伝。3月3日土曜に、大阪心斎橋のそごうホールで朗読します。
2時から3000円出演者は他に、春日野百合子さん他。)
自分の店を持つということは、
経営の大変さと同時に、自分の創造を生かした店を作れるという自由を得ている。
わたしは今「カフェシアター」を作りたいと思っている。
こころのオアシスの空間をつくjりたい。
三ノ宮と須磨のお店は
わたしに勇気と希望を与えてくれる。

投稿者 城谷小夜子 : 01:42 | コメント (0)

2007年02月07日

北北西に進路をとれ

インフルエンザが猛威を振るいつつありますが、いかがお過ごしでしょうか。節分は豆まきよりも恵方巻を食べることが主流になっている龍之介です。
豆まきはその後の回収(掃除)が大変ですし、豆よりは寿司の方が好きなので、これも自然の流れといったところでしょうか。
そんな訳で、今年も恵方巻を味わいました。

恵方巻を食べるときに、いくつかの注意点があり、毎年その点で色々と気をつけています。
まずは方角。今年は北北西ということなので、方位磁針で方角を確認。
次に気をつけなければならないのは無言で食べなければいけないこと。そのためは、食べることに全神経を集中せねばならず、テレビを消して、無言の状態で臨まなければなりません。当然、ラジオは音楽などもNG。沈黙の状態に身を委ねます。
これで食べる準備はOKですが、その前にもう一つ注意することが。間違えても、食べた後で「美味い!」と言わないこと。美味しいものを食べた後についつい「美味い」と言ってしまう癖があるので、自分自身に強く言い聞かせなければなりません。
こうして、お膳立てが整い、いよいよかぶりつく。きゅうりの歯ごたえ、玉子のほんのりとした甘み、酢飯が醸しだす酸味などを堪能しつつも、「美味い」という言葉をグッとこらえる。
あとは今年も健康で過ごせるように願いながら、黙々ともぐもぐ食べる。こうして、今年も無言で食べることができました。
食べ終えた後、美味しいものを食べられたことへの感謝がおのずと芽生え、思わず両手を合わせていました。作ってくれた人への感謝が食に対する基本なのだと、改めて実感しました。

そう言えば、最近恵方ロールケーキなるものが出回っていますね。素材は違えども、巻物であることは一緒ですし、和洋折衷といったところでしょうか。ただ、意義が全く理解されていないといった声もあり、手放しで容認できるものではなさそうです。多くの人に認知されるまでには、もう少し時間がかかるかもしれません。
あと、知人で恵方巻を食べるのに、どの方角を向いていいのか分からず、フィギュアのスピンのようにグルグル回って食べたという武勇伝の持ち主がいます。本人が言うには、「グルグル回ってりゃ、どこかで当てはまる」とのことですが、その状態で無言で食べるのは至難の業のような気がします。ちなみに、「目が回って具合悪くならないのか」と本人に聞いたところ、「グルグル回って食べるから、これが本当の回転寿司」と全く意に介さない様子でした。
個人的には、あまり人に推薦できるものではないので、なるべくなら、心を落ち着けて感謝の気持ちを抱きながら食べるスタイルをお勧めします。

投稿者 龍之介 : 23:56 | コメント (0)

2007年02月04日

北海道の冬

 異常気象継続中です。
 ようやく北海道らしい寒い日もあったのですが、あいかわらず雪は少ないまま、2月になってしまいました。もしかするとこのまま冬が終わってしまうんじゃないか、と危機感?を覚えるようになりました。
 それでも先日、気温がマイナス20℃前後まで下がった日がありました。
 そういった日は本当に雲1つなく晴れ渡っていて、なぜか妙に静かです。
 街路樹も凍りつき、積もった雪や空気中の塵がキラキラとしていて。
 そういう日が好きです。

 札幌の雪祭りは有名ですが、私の地元でも規模はささやかながら、色々と冬のイベントがあります。
 北海道にまだ来たことがない、という人は、冬の1番寒い時期に来るのもいいかもしれません。登山でもしない限りは、別に危険はありませんから(笑)。
 いまや「日本一の動物園」と言われるようになった旭山動物園で、冬だけ見られる「ペンギンの散歩」が見たいと思っている今日この頃でした。

投稿者 YUKI : 14:26 | コメント (0)