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2007年01月30日

歴史の中の自分の歴史

皆様、いかがお過ごしでしょうか。お年玉年賀はがきは何も当たらなかった龍之介です。
年賀はがきをもらった枚数もそんなに多くないので、確率的には低いのですが、それでも当たらないとやっぱり悔しいです。去年は切手シートが当たったのですが。ちなみに、切手シート以外の賞品が当たったことはありません。身近で当たった人も聞かないですし、全く以って未知の世界です。本当に当たるものなのでしょうか。
二等(地域の特産小包1個)の当たる確率は一万分の四=0.04%で、一等は百万分の二=0.0002%なのですから、よほどの幸運がないと当たるのは無理のようです。
太平洋のど真ん中に放流した魚に漁港で再会できるぐらいの確率の低さではないでしょうか。大きな幸せをつかむのは相当厳しいようです。
そう考えると、百分の二=2%で当選できる切手シートにもありがたみが芽生えそうです。
とは言え、切手シートでもまだ2%なので、当てるのは容易ではないですね。
切手シートだけでも当たったら感謝しないといけないようです。今年は当たってないので感謝しようがないですけど、来年は当てたいものです。

さて、前回の最後に日本史の勉強をしようかと書いたこともあり、早速部屋の押入れで眠っている日本史の教科書(山川出版社)を掘り起こしました。
何ページかパラパラめくって気付いたことは、意外と忘れている人名が多かったことと、平安時代までは、教科書にびっしりと線が引かれていることでした。
重要な箇所にはアンダーラインを引いておけという格言に添って、線を引いたのはいいのですが、ほとんどの箇所に引かれているので、これでは意味がありません。
多分、あれもこれも重要だからということで、当時の自分は線を引いたのでしょうけど、何が重要かサッパリ分かりません。結局、重要語句は教科書の太字頼りのままです。
尚、アンダーラインを引いただけで勉強した気になるケースがありますが、実際問題、それによって教科書の中身が頭に入ることはなく、あまり勉強したことにならないそうです。効率的に見えて、実はかなり非効率だと知ったときは、私もかなりショックを受けました。

そこで、鎌倉時代以降は、蛍光ペンで重要語句(太字で書かれている部分)を塗りつぶし、半透明の下敷きでかぶせる方法に変更しました。すると、ペンで塗った部分が見えなくなって、ちょっとした穴埋め問題のようになり、暗記するのに非常に役立ちました。
ちょうどこの頃から日本史が得意になったこともあり、この方法が自分に最も適した方法だったと今でも思っています。
しかし、教科書で歴史を追うつもりが、同時進行で自分自身の勉強法の歴史も追うことになるとは思いもしませんでした。どうやら、自分自身も試行錯誤を得て、現在に至ったようです。これもまた「人に歴史あり」といったところでしょうか。

投稿者 龍之介 : 11:03 | コメント (0)

空間定位について(2)

 空間定位とは、自己の座標軸を基準に、対象の位置を特定することです。そのためには、身体軸が確立されていなければなりません。この空間定位によって、自己と対象との関係が認識でき、空間認知ができるのです。

 さて、車の運転で言えば、たとえば、走行中に前方から対向車がきた。対向車と自分の間には左側に電柱がある、という問題はどうでしょうか。

 この場合、ドライバーは車幅と道路幅、電柱の位置、すれ違う余裕があるかどうか、自分のスピードと対向車のスピードを瞬時に計算します。ランドマークと比較して、視野に写る対象の大きさで距離と位置を、角度変化で方向を分析し、単位時間あたりの加速度を割り出し、一定時間後の位置を予想し、フィードバックしながら、アクセルとブレーキを使い、訂正しつつ、電柱ですれ違わないようにします。しかし、もし、対向車が速度を変化させ、電柱ですれ違うことが予想されれば、道路幅に余裕がなければ、新しい状況の変化に合わせて、自分が減速し、次のハンドル操作を想定しなければなりません。

 一見、簡単にみえますが、車の運転は非常に複雑な統合された一連の行動です。車を意のままに操るアクロバットは、車を一センチメートル単位で制御する技術である、ということができます。

 このように、車の運転はトレーニングによって獲得することができる学習行動であり、感覚がより鋭敏になり、視能力が拡大、伸長します。運転を習う前と、運転を始めた後では、いままで見えなかったものがより見えるようになった、と言えるのではないでしょうか。

投稿者 恵比寿 : 00:00 | コメント (0)

2007年01月29日

愛着

愛着(親と子どもの情緒的絆)
最近交渉ごとがあり、やっとというか以外と早くまとまってくれた。
相手があることは、願うようにはなかなかいかないこともあるが、
これがまたどっちりと構えることが出来るようになるのが私の課題である。
そんな時は昨年父の元へと旅立った母の遺影を見ていると、
何かを知らせてくれる。
吉報の2日前から、笑っている遺影が更にどうしたのそんなに笑ってと、
思うほどに笑っていた。
あれは母が大丈夫だよ。決まるよといってくれていたのだね。
ちょっと落ち込んでいるときには励ましてくれる。
頑張ったね。つかれったしょ少し休みなさいと。私には聞こえる。
また、昔の事を振り返り後悔の念にかられ、ごめんねお母ちゃんと
心で語りかけていると、そんなこと何とも思っていないよ。と心に伝わってくる。
親子の愛着ってかけがえのないものである。存在はなくなっても心の繋がりは切れない。

私も母のように永遠に子供の心の支えになれたらいいな。
我が家の一人息子も今年は巣立ちの年です。
もうすぐ受験に備えての家庭学習になります。
毎朝のお弁当作りもあと2回。
なんだか気がぬけそう。
お弁当が愛情の印でもあったような。
息子は感じていてくれたのかな。

やっぱりなんといっても、美味しいご飯を食べさせることが、心と体の栄養になる。
これからも、たまに帰ってきたときには腕を振るって美味しいご飯でほっとさせたい。
これも大きな愛着になると確信している。


投稿者 春野桃 : 15:55 | コメント (0)

2007年01月28日

六根清浄

今日は浄瑠璃研究会。米津先生宅で。先生は94才。お元気で嬉しい。
ある人が、共通の人のことをさんざんこき下ろした。
きっとそれほど悔しい思いをしているのだろう、と思うが、そういうふうに言い続けると、
運が悪くなるし、自分のエネルギィを下げることになるし、顔つきまで悪くなるから、
わたしはそのはなしに乗ってはいけなかったんだ。
ついつい、同感〜などど、同類になりさがってしまう。
聖人君主でいることはないけれど、
『耳に不浄をきいて、心に不浄を聞かず』〜この態度でいつことが必要だった。
米津先生に「先生、嫌いな人いた?」と聞いた。
「いないよ。あのね、先生をしていると、生徒の好き嫌いをいってはいけないのだよ。
どんな子もみんなかわいいよ」
そうなんだよね〜自分の嫌いな人を切っていったら、どんどん人は減るばかり。
人のふり見て我がふり直せ、とはよくいったものだ。
昨日、ちょっとショックなことがおこったのだが、浄瑠璃研究会の帰りに、
篠田先生と帰る途中、篠田先生に相談。
「先生、このびっくりする出来事を、よきことにするには、どう考え行動したらいいのでしょうね」
篠田先生と話す中で、結論が自ずとでた。
「これはチャンスである。」ととらえることが出来た。
明日早速行動に移す。
そのことを始めると、今年もますます忙しくなるが、これが私の人生なので、受け入れよう。
時間を上手に使うレッスンが続いているのだ。
集中力と想像力。
さて、結果やいかに!楽しみだなぁ。
短気を起こさずに済んだようだ。
このびっくりする出来事を感謝しよう。

投稿者 城谷小夜子 : 22:57 | コメント (0)

言葉は話さなくても

 動物が好きです。
 ドッグセラピーとかイルカセラピーってもの、ありますよね。
 傷ついた人の心や、心の病気を動物が癒す力がある。
 また、家庭の中に動物がいると、家族の会話が増えたり、夫婦の潤滑油になる、などの話も聞きます。
 動物が人の心に与えるものってなんだろう、と考えます。

 まず、愛情。しかも1の愛情に対し10くらいのものを返してくれる感じがします。
 それから自己肯定感。「あなたのことが大好き!」と無条件に肯定されること。
 孤独を癒すぬくもり。
 以前テレビで紹介していたのですが、アメリカかどこかの国で、犯罪を犯した未成年者に、飼い主をなくした動物たちの世話をさせるという取り組みがあるらしいですね。
 自分はその番組を見ていないのですが、でもなんとなくわかるような感じがしました。
 きちんと世話をすれば、動物たちは応えてくれます。
 愛される、という経験はとても大切だと思います。でももしかしたらそれ以上に貴重なのが、愛し方を学ぶ、ということかもしれません。
 『愛情や優しさをどれだけ与えられても救われない時がある、だが他者を愛することによって、初めて人の心は救われているのだ』とどこかの本に書いてありました。

 大人が子供から学ぶことが多いように、人が動物から学ぶことはたくさんあるんだろうなあ、と思いました。
 ちなみに「犬派」とか「猫派」とか言いますが、自分は両方好きです。……でも猫には嫌われるようです。
 犬との暮らしが長いので、匂いが染み付いているのか、そうでないのか。
 でも、ずっと昔、まだ小学生の頃、野良猫が足元にまとわりついてきた、あの柔らかさは今も忘れ難いです。

投稿者 YUKI : 08:46 | コメント (0)

2007年01月23日

受験生だったのは○年前

皆様、いかがお過ごしでしょうか。学生時代はとうの昔になってしまった龍之介です。

先日行われたセンター試験の問題と解答が新聞に掲載されていたので、ちょっとやってみることにしました(国語と日本史だけですが)。
私が受験したのはもう随分と前のことで、科目も今みたいに細分化されていないし、英語のリスニングもありませんでした。ですから、かなり勝手は違うと思うのですが、難しさで言えば相変わらずだし、現役から遠ざかっている分、難易度はアップしているかもしれません。
国語は現代文が得意だったのでまだ大丈夫でしたが、漢文は久しぶりにこのような文を読んだせいか、想像以上に厳しかったです。一応、解読はできたのですが、どうもとっつきにくい感じです。昔の友人に久しぶりに会ったのに、お互いに会話が出てこなくてぎこちない状態といったところでしょうか。
日本史は基本的なところは覚えていたのですが、ちょっとマイナーなところになると記憶の糸が絡まって、ほどけません。記憶の盲点を突かれた感じで、思い出すのが大変でした。
いくら得意な科目でも、現役から遠ざかると忘れてしまうものだなと、勝手に言い訳だけしておきます。

あと、問題を解いているときに、受験生だった頃に耳にした格言を思い出したので、何かの参考になればと思い、ちょっと紹介します。
|惨間で覚えたものは、短期間で忘れる〜一夜漬けなどで無理矢理覚えたものは、テストが終わった後の解放感からすぐに忘れてしまう、というものです。ですから、長い期間をかけてじっくり覚えなければ、自分の知識として習得できないとか。実に深い言葉です。
英語では「Easy come, Easy go」というので、そちらで聞き覚えのある人もいるのではないでしょうか。
∩択肢で同じ解答が続いても焦らない〜そんなに同じ選択肢ばかりなんてありえないと考えるのが人間心理というものです。だからと言って、次の問題では必ず違う答えになるとは限らないので、自分がこれだと思う答えが、たとえ同じ選択肢であってもしても、自信を持って答えるべきだ、という格言です。
テストで同じ選択肢ばかりが続いて不安になった経験がある人は、結構多いのではないでしょうか。私もその一人でしたが、この格言を聞いてちょっと安心した覚えがあります。
まずは「できる」と自分自身が信じなければならない〜自分はできるという思い込みによって、自分の能力が高められます。また、逆に「ダメだ」と諦めることによって、能力は発揮されなくなります。
要するに、「精神は肉体を凌駕する」ということですね。知識も大事ですが、何事にも諦めない強い気持ちが、それ以上に必要なようです。私もこの気持ちを忘れないように、日々励みたいと思います。とりあえず、日本史でも勉強し直そうかな。

投稿者 龍之介 : 10:59 | コメント (0)

2007年01月21日

センター試験

センター試験を受験された皆さんご苦労様でした。
うちの長男も受験を済ませ今一息というところです。
小学校の入学の時に校門をくぐったとたんに私の手をぎゅっとにぎり
その緊張と不安が伝わった事を覚えています。
いつもはのんきな子ですが、さすがにまたこのセンター試験も緊張していたようです。
疲れをとるためと脳の栄養のために、チョコを机の上に置いておきましたが、
チョコどころではなかったと、今日の夕食のときにちらっと言っていました。
昨日の英語の筆記試験は例年と問題傾向が変わっていてびっくりしたそうです。
冬休みにも関わらず講習で勉強したのにと苦笑いしていました。
目標点はなんとかいったようなのでよかったね。
本試験も順調に体調を崩さずに夢に向かって頑張ってくれる事を祈っています。

息子には「上がらないでね。」と出がけに声をかけると、
「母さんににているから上がるよ。」とそりゃそうだわねと納得しましたが、
子供はみているものですね。

最近しみじみ思いますが、人生は川の流れと同じなんだなと流れにまかせて
流れていくのかな。
自分に起こった事を受け入れてじゃあどうするか。と流れに乗っていく。

まだまだ子供と思っていた息子も来年は成人式。
本当に人生は早いね。
たくましくなった息子の背中を見て巣立ちの近さに、嬉しいような、ちょぴりさみしくもあります。

社会にでるまでは後数年、それまでに荒波に負けない強い心と体になって欲しいものです。

春ももう少し、早く桜咲くといいね。
受験生の皆さん体調に気をつけて目標に進んでくださいね。

投稿者 春野桃 : 20:49 | コメント (0)

体質と個性

 先日、街へ行く用事があったのでバスに乗ったら、気分が悪くなってしまい困りました。
 乗り物酔いとはちょっと違ったようで、軽い頭痛と吐き気がほぼ一日中治りません。
 日常生活に支障をきたすものではないけれど、確実に集中力を奪い、不快感を伴うもの。こういう症状はなかなかやっかいです。
 排気ガスのせいなのかもしれませんが、バスに乗れば必ず起きるというものでもなく、原因はよくわかりません。

 自分は体力という面でいうと、平均よりちょっと劣るようです。そのせいで、上記のように色々面倒なことも多いのですが、おかげで学んだこと、というものもあったりします。
 人は、つくづく「自分」を基準にして世界を見てるんだなー、とか。しかも、自分の「基準」が唯一不変のものであると思いがちだったり。

 例えば仕事を例にしても、同じ量の仕事が同じだけの疲労を全ての人にもたらすわけではないのですが、こんな簡単なことでも意外に見えていなかったりします。
 体力がないということは、精一杯頑張って、せいぜい人並みの成果しかあげられない、ということも時にあります。
 でも人並みは所詮、人並みですから、誉められるどころか、冷たいと感じる言葉を投げかけられることもしばしば。
 そういう時、「自分と人の基準は違う」ということを知っていないと、がーんとショックを受けて落ち込んでしまったりします。

 でも、この「基準」って、前述したように不変のものではないんですよね。
 1人の個人の中ですら、一定ではありません。
 振り返って考えると、あの頃の自分は余裕がなかったなーとか、誰でも思うことはないでしょうか。そういう時、身近な人にキツくあたったりとか、不平不満を聞いてもらったりとか、大抵何がしかの迷惑をかけてしまったりしているんですよね。

 1人1人の基準はみんな違う。同じ人の中ですら。
 それを考えると、人間の行動って、よくわからないようで実は理由があるってことが多いんじゃないかな、と思うようになりました。
 戦争したがる人には戦争がしたい理由があるんでしょう、多分。誰もが納得できるような理由じゃないでしょうけど、まずそれを突き止めて、そこから考えなきゃいけないんでしょうね。
 まあ話が戦争まではいかなくとも、身近な人に腹を立てることって誰でもありますよね。なんで私と話してくれないんだろう、とか、なんで体に悪いものばっかり飲むんだろう、とか(笑)。
 相手の行動に腹を立てているうちは、この「理由」ってやつがなかなか見えてきません。
 その「理由」が納得のできるものであるかどうかはまた別です。
 でも、腹を立てるのをとりあえずやめてみると、違った見え方がしてくるみたいです。

 身近な人に気を遣うことが増えると、時には自分だけが損しているように感じることもあります。でも、「自分だけが」っていうのは、実際にはめったに無いみたいです。
 後で思い出して恥ずかしくなるほど、大抵は「お互いさま」だったりします。ただ、その時は見えていないだけで。

投稿者 YUKI : 12:29 | コメント (0)

2007年01月20日

空間定位について(1)

飛行には、空間定位が欠かせません。
わたしたちは、視力を使って、二点間の角度と大きさを知り、経験的な速度と時間で、方向を推理し、衝突するかどうかを瞬時に判断しています。どこへ向かっているのか、どのくらいのスピードかがわかれば制御できます。
身の丈、という言葉があります。自分ひとりのからだになれているので、それ以上大きくなると、たとえば、ジャンボ機の巨大な図体が時速1000キロメートルで飛行するなんてのは想像もつきません。
わたしたちは、経験的に自分の眼に見える世界、会話する社会で生きています。
だから、見慣れたもの、聞きなれたものに焦点が合っていて、それ以外は受け容れることが難しいのです。
感覚には限界があります。たとえて言えば、自分の姿を見ることはできません。眼は前に向いているからです。自分の姿は常に見えません。そして、異国の言葉を聞き取れません。犬の鳴き声は国によって異なるというおかしなことがおきるのです。
また、時間も環境によって異なります。現代人はどのくらい待つことができるでしょうか。2、3日は平気で待つという国もあります。
このようにあてにしている感覚には癖がついていることに気が付くべきでしょう。

投稿者 恵比寿 : 22:38 | コメント (0)

2007年01月16日

妄想するしか方法がない話

皆様、いかがお過ごしでしょうか。2006年が遠い記憶の彼方になってしまった龍之介です。
よく考えたら、まだ2週間程度しか経っていないのに、紅白歌合戦もずいぶん前のように感じられます。あと、クリスマスもまだ3週間程度しか経っていないのに、もう何ヶ月も昔のように思えます。
もしかしたら、これは年またぎという一つの境界線を越えたことで、過去を振り返らずに未来に目を向けろというメッセージなのかもしれません。と、都合のいい解釈だけしておきます。

そんなことを言いながら、今回のテーマは去年の年末にあった出来事です。
新聞で読んだ人も多いと思うのですが、昨年12月25日に日本漢字能力検定協会が、笑える変換ミスを集めた「変漢ミスコンテスト」を発表し、「遅れてすいません、怪盗アンデス(正しくは、回答案です)」が「年間変漢賞」に選ばれました。 
この記事を見た瞬間、思わず腹を抱えて笑ってしまいました。もし、お茶でも飲みながら新聞を読んでいたら、吹いていたおそれがあります。かなり危険な不意打ちです。
で、怪盗ルパンみたいに、「○時にお宝を頂きます」と予告状を出しておきながら、その時間をすっかり忘れ、慌てて気付いた怪盗アンデスが「遅れてすみません」とお詫び状を出したのかと、ついつい想像してしまいました。
そう考えると、怪盗アンデスは随分と律儀なんですね。いずせにせよ、警察にとってはたまったものではないでしょうけど。
ただ、その腰の低さに心を打たれ、どこかのペンネームで怪盗アンデスと名乗りたい気分になりました。もしかしたら、そんなことを考えている人が他にもいそうなので、重複する可能性が高いかもしれませんが。

この他にも、「花屋で献花買って行くね」→「花屋で喧嘩勝って行くね」(喧嘩に勝っても傷害罪で逮捕されるので負けです)や、「ドアは鎖かけているから大丈夫」→「ドアは腐りかけてるから大丈夫」(他人を近づけない上では大丈夫かもしれませんが、安全面では何の保証もないですね)、「お客様用トイレ」→「お客彷徨うトイレ」(あても無くうろうろされたら用が足せません)など、ちょっとした小話みたいなものが多く、ついクスクスと笑ってしまいました。

ただ、このブログもパソコンを使って書いている以上、「明日はわが身」の可能性もあるため、あまり他の人のことは笑えないかもしれません。極力気をつけていても、結構誤変換が結構ありますので。
とにかく、何度も推敲するしかないですね。ちょっと面倒でも、妄想するしか方法がない……じゃなくて、もう、そうするしか方法がないのですから。

投稿者 龍之介 : 11:02 | コメント (0)

2007年01月14日

こりゃあ春から縁起がいいわいな

近所のスーパーの火曜市でやっているスロットでゾロメがでちゃった。
火曜にはまずはスロットしてからのお買い物。
いつもはもう一歩のところで揃わず、
なので最近はまっすぐ買い物していたけれど、
なぜか今日はスロットが呼んでいる気がした。
じゃあちょっと、と思いカードを挿入。
またきっと残念が出ると思いきやゾロメが
思わずやったとにんまり
その話を夕食の時に息子に得意げに話すと、
息子はにやにやとして「で、いくら出たの」
すかさず「500円券が一枚」と私
「母さんせこいね」と息子
そうね確かに、
でもねバーゲンのチラシを見ては買い物する身にとっては
やったラッキーである。
こんなことのひとつひとつの楽しかったことを溜めていける平凡な生活が
なによりの幸せじゃあないかな。
小さな何気ない事に幸せを感じられて、
小さな幸せのひとつひとつを積み重ねて、
穏やかに強くいたい。

投稿者 春野桃 : 22:29 | コメント (0)

2007年01月13日

本年もどうぞよろしく

今年のカレンダーは七福神と干支を組み合わせたりっぱなものを掲げています。
実はもらいものなのですが、見るからに、おめでたいので気に入っています。
暗い世相に打ち勝つ絵図になっているからです。

正月から悲しいニュースが続いています。
出口の見えないトンネルに入ったような閉塞感が、気を重くしているように思います。

しかし、入り口から入ったのだから、出口から出られるはずです。
トンネルが長いだけで、必ず、出口はあるのですから。
不安になっても、長いトンネルは短くはなりません。
だから、不安を吹き飛ばして、威勢よく進みましょう。

今年は、大いに前進する猪年です。

投稿者 恵比寿 : 23:13 | コメント (0)

振り返ってみれば

 この冬は異常気象をつくづく実感しています。
 北海道内陸部で生まれ育った人間としては、「冬なのに雪が少ない」というのはなんだか落ち着きません。
 いえ、実際には除雪車の出動もなく、なんとも穏やかなお正月になったんですけど(笑)。
 北海道以外にお住まいの方もニュースでご覧になったかもしれませんが、お正月も1週間が過ぎた頃、大雪がやってきました。
 ところが、これが西高東低の冬型気圧配置がもたらしたものではなく、南からやってきた低気圧が原因でした。結果として、さらさらとして美しいいつもの粉雪が舞うのではなく、じっとり重たく濡れた雪が降り積もりました。
 除雪を手伝いましたが、筋肉痛で腕が痛いです。
 濡れた雪はあまり好きではないです。息を吹きかければ飛んでいくような、軽やかな雪こそが雪だと思っています。

 そんなこんなで、2007年が明けてしばらく経ちました。
 昨年の年末は、「2006年を振り返る」番組を見ようと思っていたのですが、なんだか気持ちが重たくなるニュースが多くて、結局やめてしまいました。
 暗いニュースが多いのは、けして今に始まったことではないのですが、最近は何か起きると、集中「叩き」みたいになってしまう報道がなんかヤですよね。それも「いじめ」って言うと思うんだけどな・・・・・・。
 スポーツの話題だけ、振り返っておきました。本当、2006年はスポーツの当たり年でした。
 でも、野球、サッカーワールドカップの話題に比べて、トリノ五輪の話題が見当たらなかったように思いました。気のせい?
 つまらない大会ではなかったと思うのですが。日本勢のメダルが少なかったから?

 2007年はどんな年になるのでしょう。
 やっぱり、平和が1番ですよね。

投稿者 YUKI : 20:27 | コメント (0)

2007年01月08日

元旦に拝むもの、2つ

新年明けましておめでとうございます。年末年始は帰省先でのんびりしていた龍之介です。
帰省中はあれやこれやと食べまくっていたので、体重が3キロも増えてしまいました。元々痩せている方なので、メタボリックシンドロームの心配はないと思うのですが、過信できないお年頃なので、ちゃんと運動もしないとダメでしょうね。

さて、ここ数年は、自分の中で初日の出と初詣を同時進行で済ませるスタイルが定着しており、今年もそれを実行しました。要するに、夜明け前に起きて神社に向かう道すがらに初日の出を拝むというものです。
ちなみに、免許は持っているものの、車は持っていないため、神社に向かう手段は徒歩のみ(更に、帰省先は北海道の片田舎の街なので、交通機関は便が悪い以前に元旦は完全休業となっております)。前の日の年越しそばを食べ過ぎた分を解消する上でも、少し歩いた方がいいと思うので、これは仕方のないところです。
身体を突き刺す寒気に耐えながら(寒いと言うより痛いです)、ひたすら歩くこと約15分、ようやく神社の近くまで到着。近くの温度計を見ると、何とマイナス12度。こりゃ寒いわけだ。苦笑いで漏れた白い息が宙に舞いました。

結局、初日の出を拝む前に神社に着いてしまったため、先に参拝を済ませることに。今年も無病息災と心に余裕を持って過ごせるように願い、良い一年になることを願う。ただ、柏手を打つときにはすでに手がかじかんでおり、小刻みに震えてしまいました。
参拝を終え、おみくじを買おうと思ったら、神社の石段で人だかりを発見。今まさに、東の空の山の間から初日の出がゆっくりと姿を現そうとしているところでした。
オレンジ色の神々しい光を漂わせた初日の出に、思わず感嘆のため息が。普段、朝日が昇る瞬間を見ることが少ないために、喜びも一入。寒さに震えていたことも忘れて、しばらくはじっと見とれていました。世の中にはまだまだ美しいものがあるのだと、改めて実感。
これがあるから、毎年どんなに寒くても初日の出は見ようと思うのかもしれません。また、感動の余り、思わず携帯のカメラで撮影してしまいました。そんな訳で、私の携帯の待ち受け画面は、現在、そのとき撮った初日の出の画像になっています。
暗闇を打ち消すかのように照らされた光が心を和ませてくれるため、とても重宝しております。で、ついつい拝んでしまいます。あぁ、ありがたい。

とまぁ、今年も、こんな感じでマイペースに書き綴っていこうと思います。こんな私ではありますが、何卒よろしくお願いします。

投稿者 龍之介 : 00:01 | コメント (0)

2007年01月07日

明けまして2007

 「今日はね。『何をおいても寝ころがって空を見るべき日』よ。私が総理大臣だったらおふれを出しちゃうわね。」
 これは、私が好きなマンガに出てくるセリフです。
 天気が良くて、静かで、ぽかぽかあったかい日は、建物の中に閉じこもってせかせかしているのが本当にもったいなくなります。
 いきなり季節外れな話に「?」と思われたでしょうか。皆さん、明けましておめでとうございます。
 冒頭のマンガのセリフを思い出したのは多分、お正月でも忙しい人達をテレビでいっぱい見たからかもしれません。
 以前、「お正月は働いてはいけない」法律を作ってはどうかと考えたことがあるのですが、いまだに賛同いただいたことがありません(笑)。なぜでしょう?
 これを言うと、大抵ひんしゅくをかってしまいます。
 もちろん病院とか消防署とか、休みになったら困るのはわかるんですが。
 でも、この国でも、1年に1度くらい、「今日は休むべき日であり、働くことが間違っているのだ」と思える日があってもいいと思うのですが。
 消防署といえば、消防士さん達の「出初め式」のニュースを見ました。出初め式と言っても地方によって色々あるということを初めて知りました。中には、寒空の下、冷たい水を浴びたり・・・・・・。でも、お正月らしくていいな、と思いました。
 皆さん、本年も宜しくお願い致します。

投稿者 YUKI : 13:31 | コメント (0)

2007年01月06日

初舞台は13日から

城谷小夜子です。
新年あけましておめでとうございます。
今年は1月13日が初舞台。
名古屋の同朋大学で、女優のたかべしげこさんとご一緒の舞台です。
東西の女の生き方をドラマの中からさぐるというもので、
第4回目になります。
今回のテーマは「女と社会」
私は「唐人お吉」、山本有三の「女人哀史」の一節を朗読します。
たかべさんは「ドイツの女流画家・コルビッツ」をとりあげます。
今日はその稽古。
今年も精進。
くるものを受け入れ、
引き受け、
続けることを信条とします。
今年もよろしくお願いします。


投稿者 城谷小夜子 : 21:39 | コメント (0)

2007年01月05日

一年の計は元旦に

一年の計は元旦にありというけれど、今年は元旦にお煮しめを作りました。
今年も一年中お料理をする事でしょう。
お雑煮はいつもは鶏肉で作るのですが、
ちょっとふんぱつして鴨肉で家族の評判は上々。
こうして家族に美味しいものを作ってあげられる事は何よりの私にとっての幸せ。

今年は息子が受験で、なんと「受験生にはクリスマスも正月もない」と
頼もしい息子の一言。
が、しかし内緒ですが、ほんの少しワインを一緒に、ごめんなさい馬鹿な親です。
今日も講習に朝から学校へ、先生にはお休みにもかかわらずに感謝ですね。
頑張ってね。あともう少しで春は来るからね。

私達夫婦も何年も前からの老後(ちょっと早いかな)の計画を実行する年。
息子の羽ばたきを応援しつつ、私達の夢追いの年。
夫婦二人の生活になっても、外にアンテナを張っていきたい。
今年も起こるであろう出来事のひとつひとつを楽しんで何でも吸収しながら。

皆さんの今年も良い毎日でありますことを祈りつつ
無理なく焦らず自分達らしく共に前を向いて歩いて行きましょうね。

投稿者 春野桃 : 15:14 | コメント (0)