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2007年01月21日

体質と個性

 先日、街へ行く用事があったのでバスに乗ったら、気分が悪くなってしまい困りました。
 乗り物酔いとはちょっと違ったようで、軽い頭痛と吐き気がほぼ一日中治りません。
 日常生活に支障をきたすものではないけれど、確実に集中力を奪い、不快感を伴うもの。こういう症状はなかなかやっかいです。
 排気ガスのせいなのかもしれませんが、バスに乗れば必ず起きるというものでもなく、原因はよくわかりません。

 自分は体力という面でいうと、平均よりちょっと劣るようです。そのせいで、上記のように色々面倒なことも多いのですが、おかげで学んだこと、というものもあったりします。
 人は、つくづく「自分」を基準にして世界を見てるんだなー、とか。しかも、自分の「基準」が唯一不変のものであると思いがちだったり。

 例えば仕事を例にしても、同じ量の仕事が同じだけの疲労を全ての人にもたらすわけではないのですが、こんな簡単なことでも意外に見えていなかったりします。
 体力がないということは、精一杯頑張って、せいぜい人並みの成果しかあげられない、ということも時にあります。
 でも人並みは所詮、人並みですから、誉められるどころか、冷たいと感じる言葉を投げかけられることもしばしば。
 そういう時、「自分と人の基準は違う」ということを知っていないと、がーんとショックを受けて落ち込んでしまったりします。

 でも、この「基準」って、前述したように不変のものではないんですよね。
 1人の個人の中ですら、一定ではありません。
 振り返って考えると、あの頃の自分は余裕がなかったなーとか、誰でも思うことはないでしょうか。そういう時、身近な人にキツくあたったりとか、不平不満を聞いてもらったりとか、大抵何がしかの迷惑をかけてしまったりしているんですよね。

 1人1人の基準はみんな違う。同じ人の中ですら。
 それを考えると、人間の行動って、よくわからないようで実は理由があるってことが多いんじゃないかな、と思うようになりました。
 戦争したがる人には戦争がしたい理由があるんでしょう、多分。誰もが納得できるような理由じゃないでしょうけど、まずそれを突き止めて、そこから考えなきゃいけないんでしょうね。
 まあ話が戦争まではいかなくとも、身近な人に腹を立てることって誰でもありますよね。なんで私と話してくれないんだろう、とか、なんで体に悪いものばっかり飲むんだろう、とか(笑)。
 相手の行動に腹を立てているうちは、この「理由」ってやつがなかなか見えてきません。
 その「理由」が納得のできるものであるかどうかはまた別です。
 でも、腹を立てるのをとりあえずやめてみると、違った見え方がしてくるみたいです。

 身近な人に気を遣うことが増えると、時には自分だけが損しているように感じることもあります。でも、「自分だけが」っていうのは、実際にはめったに無いみたいです。
 後で思い出して恥ずかしくなるほど、大抵は「お互いさま」だったりします。ただ、その時は見えていないだけで。

投稿者 YUKI : 2007年01月21日 12:29

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