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2007年01月30日

歴史の中の自分の歴史

皆様、いかがお過ごしでしょうか。お年玉年賀はがきは何も当たらなかった龍之介です。
年賀はがきをもらった枚数もそんなに多くないので、確率的には低いのですが、それでも当たらないとやっぱり悔しいです。去年は切手シートが当たったのですが。ちなみに、切手シート以外の賞品が当たったことはありません。身近で当たった人も聞かないですし、全く以って未知の世界です。本当に当たるものなのでしょうか。
二等(地域の特産小包1個)の当たる確率は一万分の四=0.04%で、一等は百万分の二=0.0002%なのですから、よほどの幸運がないと当たるのは無理のようです。
太平洋のど真ん中に放流した魚に漁港で再会できるぐらいの確率の低さではないでしょうか。大きな幸せをつかむのは相当厳しいようです。
そう考えると、百分の二=2%で当選できる切手シートにもありがたみが芽生えそうです。
とは言え、切手シートでもまだ2%なので、当てるのは容易ではないですね。
切手シートだけでも当たったら感謝しないといけないようです。今年は当たってないので感謝しようがないですけど、来年は当てたいものです。

さて、前回の最後に日本史の勉強をしようかと書いたこともあり、早速部屋の押入れで眠っている日本史の教科書(山川出版社)を掘り起こしました。
何ページかパラパラめくって気付いたことは、意外と忘れている人名が多かったことと、平安時代までは、教科書にびっしりと線が引かれていることでした。
重要な箇所にはアンダーラインを引いておけという格言に添って、線を引いたのはいいのですが、ほとんどの箇所に引かれているので、これでは意味がありません。
多分、あれもこれも重要だからということで、当時の自分は線を引いたのでしょうけど、何が重要かサッパリ分かりません。結局、重要語句は教科書の太字頼りのままです。
尚、アンダーラインを引いただけで勉強した気になるケースがありますが、実際問題、それによって教科書の中身が頭に入ることはなく、あまり勉強したことにならないそうです。効率的に見えて、実はかなり非効率だと知ったときは、私もかなりショックを受けました。

そこで、鎌倉時代以降は、蛍光ペンで重要語句(太字で書かれている部分)を塗りつぶし、半透明の下敷きでかぶせる方法に変更しました。すると、ペンで塗った部分が見えなくなって、ちょっとした穴埋め問題のようになり、暗記するのに非常に役立ちました。
ちょうどこの頃から日本史が得意になったこともあり、この方法が自分に最も適した方法だったと今でも思っています。
しかし、教科書で歴史を追うつもりが、同時進行で自分自身の勉強法の歴史も追うことになるとは思いもしませんでした。どうやら、自分自身も試行錯誤を得て、現在に至ったようです。これもまた「人に歴史あり」といったところでしょうか。

投稿者 龍之介 : 2007年01月30日 11:03

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