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2007年04月30日

身近な野生

 早朝、愛犬の散歩をしていると、北へ向かっていく白鳥の群れを見かけるようになりました。
 子供の頃はそうしたものを見た記憶がないのですが、渡りのコースが変わって街の上を鳥たちが通るようになったのか、そこにいるということを知らないと気がつかないものなのか、考えてみるとちょっと不思議です。

 渡りをする白鳥たちが羽を休める居留地が私の街の近くにもあるので、先日見に行ってきました。
 まだ何もない畑の上に、たまに白いものが座っているのを遠くから見たり、水面を次々と滑走して舞い上がる姿を見てきました。
 近くに住んでいる人が教えてくれたのですが、数羽単位でいる時は人が近づくと逃げてしまうけれど、大勢で集まっていると安心だと思うのか、人が群れの中に入っていっても逃げなくなるのだそうです。

 それにしても、本当に逃げませんでした。
 白鳥よりも鴨らしき鳥の方がたくさんいたのですが、すぐ目の前で、羽の中にくちばしを埋めて目をつむって寝ていたりするんです。かわいいの、なんの。
 大抵の白鳥は水の上にいましたが、1羽の白鳥が陸に上がってぺたぺた歩いていました。
立ち上がると、けっこう背が高く、水かきは黒かったです。

 動かないでじっとしていたら、靴の先に何かががつんと当たりました。どうも、鴨につつかれた気がするのですが、よくわかりません。パンをあげている人もいたので、エサを催促されたのかもしれません。
 ふと気がつくと、周りが鴨だらけになっていて、誰もこっちを気にしていませんでした。それでもこちらから近寄ると逃げてしまいます。
 いくら近くにいても、野生動物だから、触ることはできないんですよね。あの羽毛に触ってみたいけれど、じっとがまんです。

 一応、案内の立て札も立っているんですけれど、きちんと整備された場所でもなく。
 観光客も来ない、地元の知っている人しか訪れないような所です。
 こういう場所があるのは、贅沢な気がします。
 もうじき北へ渡ってみんないなくなってしまうけれど、また来年もちゃんと来てくれるのか、それは鳥にしかわかりませんが……。

投稿者 YUKI : 14:26 | コメント (0)

2007年04月29日

ものは考えようということ

使い古しのえんぴつ、しかも、折れている。
何の価値もないように思える。
そんなもの誰が欲しがる?

でも、アインシュタインが使ったえんぴつだとしたら?


一膳のご飯とたくあん一切れ。
そんな粗食は犬も食わない。

でも、3日間食べてなかったら?


折れたえんぴつをもらっても、うれしくはない。
ごはんだけでは、不満だ。

でも、状況が変われば、受け止め方が一変する。

そう、受け止め方をかえるだけで、世界は変わる。

でも、どうしても、その状況を受け入れれなかったら?

そう、断食をするとよい。
3日間何も食べなければ、嫌いな食べ物など一切なくなる。
食べ物が、こんなにも自分に力を与えてくれるものなのか
身にしみてわかる。

感謝することを知りたければ、食べ物のありがたさを知ることだ。
えんぴつがえんぴつであることに喜びを感じるはずだ。

投稿者 恵比寿 : 22:27 | コメント (0)

発送作業

城谷小夜子です。
この前書いてから18日間も経っていました。
昨日は午前3時近くまで事務所で発送作業していました。
自分のことばで、そのかたに伝いたいという思いがあって、
流れ作業というわけにはいきません。
今回の発送作業は、1000通ぐらい、かな。
今夜あとすこし書き上げれば、
明日からパンフレットの原稿書きの仕事に移れます。
こうして必死に毎日仕事していられることが
じつはとても幸せな状態なんだと思います。
いつか
一人で暮らす日がくるもかもしれないし、
夫に看取って貰って
先にあの世に行くのかもしれないけれど
未来になにがあろうと
今を生きる ということですね。
さぁ、あともうちょっと手紙を書きます。
え〜っと、
みなさま〜。羽咋、金沢、大阪、京都、半田、東京に近い方
会いに来て下さい。
ついでに芝居も見て貰えたらこんなに
うれしいことはありません。詳細は www.wanowa.org 見て下さい。

投稿者 城谷小夜子 : 20:12 | コメント (0)

2007年04月27日

笑顔日和

皆様、いかがお過ごしでしょうか。部屋の模様替えを進行中の龍之介です。
ほんのちょっと部屋の雰囲気を変えただけなのに、自分の部屋じゃない気がして違和感が拭えません。慣れるまでは、こういう刺激がたまにあった方が新鮮味があっていいかなと前向きに解釈します。

突然ですが、自分が笑顔になれる瞬間を持っていますか?
テレビでお笑い番組を見ているとき、友達との会話を楽しんでいるとき、自分の趣味に没頭しているときなど、答えは人それぞれだと思います。
ちなみに、私は美味しいものを食べているときに笑顔になれます。
いつからか分からないのですが、気がつけば「美味しい」と感じた瞬間に笑みがこぼれるようになっていました。しかも、他の人が見ると本当に幸せそうな顔をしているというのです。
さすがに鏡を見て食事をする気もないので、自分がどんな顔をしているのか分からないのですが(仮に鏡を見ながら食事をしても、自分の顔を意識して見ようとしたら笑顔は出ない気がします)、他の人を幸せにすることができるのであれば、それで十分かなと思います。特に手料理を振舞ってもらったときにその笑顔が出ると、とても喜んでもらえるので。
そのせいか、「グルメリポーターになれる」と言われたこともあります。特に好き嫌いもないので、チャンスがあればなってみたいものです。そうなれば、満面の笑みでリポートしますよ。
もし、グルメリポーターを探している方で、この日記を見た人がおりましたらご一報下さい(笑)。

それはさて置き、笑顔になれるひとときがあるから、本当に「生きているんだ」ってことを得られるのかもしれません。言い換えれば、胸の奥底から湧き上がる喜びを心の底から実感できるわけですから。
つまり、笑顔でいるということは、自分が生きていることの証であるかもしれません。そして、人生を楽しんでいることの証でもあると思います。
さすがに、生きている時間の全てを笑顔でいるというのは無理ですが、こういう瞬間が少しでもあれば、それが生きる支えにもなるし、楽しい気分になれる気がします。

「決していいことばかりの人生ではないけど、その人生に彩りを与えるために、人間には笑顔というものがある」
これもまた、誰が言った言葉分かりませんが、まさにその通りかもしれません。
できる限り、笑みを絶やすことなく生きて行きたいものです。

投稿者 龍之介 : 00:05 | コメント (0)

2007年04月23日

ありのままに

何年か前にある講座で”あなたはあなたのままでいい”という事を耳にしました。
瞬間涙が出そうになった事を今でもはっきりと覚えています。
その時はなんで胸にしみ込んできたのかさえ自分自身分からずにいました。
それほどに、自分を隠していたんだなって私自身思っています。

人は本来この世に生まれてきたこと自体が受け入れられた存在。
でも、あまりにも自分にとって大切な人のレールに乗らなくてはならないとき、
自分自身では受け入れられないと思い込んでしまう。
期待に答えよう、誰かにとっていい子でありたいと頑張ってしまう。

毎日にとって肝心なことは、自分自身を生きる事。
自分で考え、自分の足で歩き、自分の耳で聴き、自分の言葉で話す。
それでいいんだよ。

心優しく、真面目なある人はお母さんが悲しむから、喜ぶからと頑張って疲れていました。
でもね、あなたが楽しくああしたいこうしたいと思う事に向かっていいんだよ。
その方が本当はお母さんも幸せだよ。

そうだねやっぱり必要なものは勇気だね。
勇気は人間の翼かな。

投稿者 春野桃 : 22:37 | コメント (0)

2007年04月21日

大切なことは

 以前にも書いたように、自分は漫画が大好きです。最近読んだ漫画が、ちょっとさわやかな気持ちをくれました。
 主人公は十代と思しき少年なのですが、実は妻帯者です。なぜそんなに若いのに結婚しているのかというと、時代劇っぽい舞台だからなんです。
 漫画の場合は一見時代劇で実はファンタジー、というのもよくありますから、はっきりとはわかりませんが。
 お話も面白かったし、自分が「いいなあ」と思ったのは、主人公の生き方です。
 「他人がどう思うか」とか、「こうあるべき」とかではなく、「自分と妻が楽しく暮らしていく」ことを普通に大切に考えられる生き方が、なんだかさわやかでした。

 話は変わって、4月から新しく始まったNHKの朝ドラでは、ヒロインが恋人の実家である老舗旅館で女将を目指して修行するんだとか。
 ヒロインの父は国際的な大会で優勝したこともあるケーキ職人で、ヒロインはその父のもとでケーキ職人を目指していたようなので、ちょっともったいないと思うのですが……まあ、それはおいておくとして、ちょっと不思議に思ったことがあります。
 なぜ未来の旅館経営者の妻は、未来の女将でなければならないのでしょうか?
 まだ若い2人なのだし、いろんな形が考えられると思うんですよ。
 お互いに、こんなに好きになったのは初めて、とまで言っているのだし、2人にとって1番いい形を模索するところから始めてみては、と思うのですが……。

 お話の序盤、ヒロインの恋人の考え方は、「旅館の長男の妻だから女将にならなければならない」(自分の母がそうだった)、「母のような苦労を恋人にはさせたくない」、「彼女を幸せにできないなら、結婚しても意味がない」、「2人の関係には意味がなくなった」、「だから別れるしかない」……という感じになっています。
 こうした考えにはまっている恋人の姿は、当然ながらあんまり楽しそうではありません。

 誰だって、自分の近くにいる相手には楽しそうにしていてもらいたい。夫婦だって、親子だって同じですよね。
 せっかく大切に思える人がいるのなら、自分と、相手がどうしたら楽しく生きられるのか、将来ではなく「今」笑えるためにはどうすればいいか、まずはそれを1番先にもってきて、考えてみたなら。
 「ねばならない」をちょっとどけてみると、大切なものが見えることがあります。

投稿者 YUKI : 09:54 | コメント (0)

2007年04月20日

発掘したメモ

皆様、いかがお過ごしでしょうか。部屋の模様替えを検討している龍之介です。
そんなに広い部屋ではないのですが、気分転換もたまには必要かと思い、ちょっとばかし配置を換えてみようかなと思っています。

その下準備という訳ではないのですが、部屋を掃除していたら色々と懐かしい物を発見しました。いつ入手したか分からない携帯ストラップから、2002年日韓共催のワールドカップ記念グッズ、果ては小銭まで出てきて、ちょっとしたトレジャーハンターの気分です。
こまめに掃除しないとこのようなことになるので気をつけて下さい。
その中で、最も印象的だったのが一枚のメモ用紙でした。
メモには面接のポイントなるものがあり、4つのポイントが書かれていました。

ー分の売りを把握した上で、組織がどうなるかを提案できる→自己分析ができる
∪長しようと努力している→向上心がある
その場を楽しい空間にできる。自分自身が楽しい気持ちで面接に臨む→魅力的な笑顔がある
な垢い討い襪箸の表情、話し手のアイコンタクトができる→視線で訴えられる

一見当たり前のことを書いているようにも思えるのですが、の「その場を楽しい空間にできる。自分自身が楽しい気持ちで面接に臨む」は、当時の自分に大きな影響を与えたものでした。
面接に限ったことではないですが、まずは自分が楽しむことが大切だし、他の人を楽しませる最低条件ではないかと思うのです。
過去の面接で、不安や心配を恐れる気持ちから緊張してしまい、その場の雰囲気を楽しめなかったことが幾度もあります。そのために、途端に考え方や言葉が味気ないものになってしまい、相手の心に響かなり、結果的に失敗したことを何度も経験しています。
ああすればよかった、こうすればよかったと後悔したところに、この言葉を見つけ、まずは自分が楽しもうと思ってからは、緊張感も若干は解け、面接でも自分の考えを上手く伝えることができたと、自分の中では思っています。
最後にそのメモの一番下に書かれていた言葉で締めたいと思います。誰が残した言葉かは知りませんが、あやかりたい言葉だと思っています。

「人生は楽しむために存在する」

投稿者 龍之介 : 00:03 | コメント (0)

2007年04月17日

切れ目なく続いているもの

NHKテレビで、あるタレントが101歳のおばあさんに、「どうですか、101歳も生きてこられて」と質問した
ところ、そのおばあさんは「なんてことないね。いつのまにか、ここまで生きてきただけのことだよ」と答えていたのを聞いて、ちょっとビックリしました。

そのおばあさんだけでなく、もう一人の100歳のおばあさんも「その時、その時に合わせて生きてきただけ」と答えておりました。

100歳も生きてきたからといって、どうということはなかった……これはすごいことをいっているなあ思い、
いろいろと考えさせられました。

人生にはここまで生きてきたら終着点といえるものはないこと。また、ここまで生きたらすべてが分かる
というようなものではないこと。つまり、切れ目なく続いているもの、いつも今日1日1日が連綿と続いているのが「生きている」ということではないだろうかと思います。

そして、その歩みのなかで、ふっと途切れることが死を意味しますが、しかし当人にとっては、その最後の日もこれまで続いてきた「今日」という1日であり、終わりの1日とはいえないのではないかと思えます。 
金太郎飴の、どの部分を切っても金太郎の顔がありますが、人生という飴の棒もまた、そのどこを切っても、ただ「今」というものがあるだけではないでしょうか。

100年という時間の棒は、外から見れば長く見えるでしょうが、その棒の内側では、長さなどというものはなく、ただ「今」という断面があるだけのような気がします。

101歳のおばあさんは、確かに100年という年輪を顔に刻んではいますが、しかしその顔は「わたしはいつも今こうしているだけだよ」といっているように感じました。
また「その時、その時に合わせて」生きてきたという、もう1人のおばあさんにも同じことを感じました。

「柳に雪折れなし」といいますが、柳のように風になびくままに、さらさらと「今」を生きる生き方が、長寿の
秘訣ではないか。…そんなことを考えさせられました。  合掌


投稿者 ZEN754 : 11:27 | コメント (0)

投稿者 ZEN754 : 11:22 | コメント (0)

2007年04月14日

お久しぶりに

本宅の引越しと息子の進学先への転居を平行して行っていました。
やっと、久しぶりにパソコンを開く事ができるまできたかな。
思っていた以上に大変でした。
そんな中、いろいろな事が改めて感じられました。
慣れ親しんだ土地を離れる事は自分達の選択ではあるけれど、
少し不安でした。でも、新天地にはもう慣れてきました。
私達の夢を叶える土地です。
住めば都です。

そんなどたばたの中でやっぱり息子の新生活の準備がこれまた一番大変でした。
なにもかもをひとそろえで大出費。
でもそろえるだけそろえたらあとはかからないしね。頑張りました。
それにしても、不出来な親の私なので、マンションに夫と一緒に息子を送った帰りには、
車の中で泣いて帰ってきました。ほんと馬鹿です。未熟です。

いまでは、元気に一人暮らしをエンジョイしている息子をみて安心しています。
私達夫婦も寂しがっている暇などありません。
まだ、こっちの引越し荷物の整理やらなにやらとね。
早く整えて、先ずはメールでしかお話した事のない夫の友人にお会いする事が楽しみの一つです。
そうやって、第二の人生ゆっくりゆっくり楽しんでいく事が夢に繋がる。

受け入れる事。
自分に起こった全てのことを受け入れたならOKだよね。
でも、どうしても受け入れがたいことはあるよね。
そんなときは、流れにまかせて流れていても、
必ず自分で納得していく。
自分と折り合いをつけていけるときは必ず来る。
雑草だって、踏まれてもいつかは起き上がるもんね。

投稿者 春野桃 : 23:31 | コメント (0)

2007年04月13日

春を告げるもの

 新しい仕事を始めて、肉体的、精神的にちょっと余裕のない状態になっています。こちらのブログも遅れ気味になっててすみません。

 最近、外出用のコートをようやく冬物から春物に変えました。
 空気はまだ冷たく、先日も小雪がちらついていました。でも雪の溶けた地面からは、植物の芽が少しずつ顔を出しています。

 全国ニュースを見ていると、よく桜の話題が出ますね。
 まるでピンク色の霞のように咲き誇る一面の桜、というものをいまだに生で見たことがありません。その時期に北海道を出る機会がなかなかなくて……。きっととてもきれいなのでしょうね。
 北海道にも桜はありますが、種類が違ったりしますし。それに少なくとも自分のイメージでは、春を告げる花って桜じゃないですね。
 クロッカス、タンポポ、フキノトウ(花?)。やっと顔を出したチューリップや水仙の芽……。春は頭上ではなく、足元からやってきます。

投稿者 YUKI : 12:26 | コメント (0)

選挙の背後にある戦い

皆様、いかがお過ごしでしょうか。この前の日曜日に選挙に行ってきた龍之介です。
各地で知事選があったものの、東京都の石原知事、神奈川県の松沢知事、北海道の高橋知事など現職の当選者が多く、やはり現職有利の流れなのかと感じました。福岡県の麻生知事はこれで四選目ですし。
ただ、知事の多選問題もあり、今後この流れがどうなるか気になるところです。

とまぁ、その辺の議論はひとまず識者に任せるとして、今回は選挙の投票に関する話題です。
今回、私は夕方に投票に行ったついでにそのまま外食するといった、モーニング娘。の「ザ★ピ〜ス」の歌詞みたいなことをしてきたのですが、投票に向かう道すがら、過去に一番乗りを目指していたことを思い出しました。
以前、あるテレビ番組で、選挙に一番乗りした人は投票箱が空であることを確認できるといった特権が与えられることを知り、一度それをやってみたいと思ったのです。
そこで、ちょうど四年前の知事選に決行することにしました。しかし、開始十分前に近くの投票所(歩いて数分の距離)まで行ったら、すでに七人も待ち構えていたため、私のもくろみはあっけなく失敗に終わってしまいました。
どうやら、常に一番乗りを狙っている人が何人かいたようです。待っている間に、「○○さんにやられちまったか」、「今回は俺の勝ちだな」という話題をされていたので、私が一番乗りを狙うずっと前からこのような戦いを繰り広げていたようです。
先頭の人が空であることを確認する作業を遠目に見ることができ、それで満足した私は、以降一番乗りを目指して投票に行くことはなくなったのですが、今回も一番乗りをめぐった戦いが開門前の投票所で繰り広げられていたのかもしれません。
何とかこれを上手く生かして、投票率のアップにつなげられないでしょうかね。
例えて言うなら、西宮神社の福男みたいな感じで。そうすれば、若年層の投票率も上がりそうな気がするのです。ただ、選挙の投票の本質からはかけ離れそうなので、さすがに実現化は難しそうですね。
それでも、高齢化の進む農村に住む知人の話では、選挙は一大イベントで、投票日の朝は花火を打ち上げて投票を呼びかけるらしいので、これぐらいのアピールはしてもいいんじゃないかな、と個人的に思っています。

投稿者 龍之介 : 00:01 | コメント (0)

2007年04月11日

さぁ、つぎの芝居へ

今日9日間の出張から帰宅。
関西は、さくらが満開。今年は長くさくらを愛でることが出来たなぁ。

4月7日の「すいた若竹物語」はなんとか評判よく舞台を終えることができ、ほっと一息。
気を抜くことなく、8日から初美師匠のおうちで「尼崎の段」の稽古。
9日には、天理大学の大橋先生をお訪ねして、近松のことでいろいろ教えてもらった。
疑問が解けてうれしかったことと、あらたなる疑問が湧いてきたこと。

帰りの新幹線の中で水上勉さんの本を読み、また泣いてしまった。
こころが共感する。
寂しさと悲しさと、人生の苦しさと・・・淋しい作家が水上先生です。
しかし、先生の人を見る目に、仏を感じる。
いちど朗読で語りたいと思う。

あしたから、次の芝居のせりふ覚えに入ります。
毎日3ページずつ覚えよう。こつこつしっかり覚えよう。
こうして悩んでいる今が本当に有り難い生きている時間なんだろうなと思う。

投稿者 城谷小夜子 : 23:13 | コメント (0)

2007年04月06日

子供は未来からの使者

17歳の犯罪、最近よく耳にする言葉です。
確かにこの世代の、思いもよらない行動が目に付きます。マスコミも何かあると17歳という世代にこだわり、そのせいにしてしまいがちです。しかし、そんな解釈ですむのでしょうか?
自分たちが17歳の頃を考えて見ましょう。やはり人生の不安を抱え、どう生きようか、必死に考えていた
時代であります。(戦中、戦後、高度成長期などいろいろあっても)ハイティーンは悩みます。
中には答えを得られなくて、世にすね非行に走る子供もいました。
まじめに苦悶できるのは、大人になる世代直前の特権でもあります。

テレビのコマーシャルで現代は「自己虫」という虫が多くなっていると言っています。
しかし、評論家の芹沢俊介氏は言っておられます。

「子供だけが自己中心的なのではない。この社会を生きて呼吸しているものはすべて自己中心的なので ある。それなのに子供だけに非難が集中する」と。

問題なのは、17歳世代だからではなく、彼らが、私たちが生きる現代の社会構造そのものではないでしょうか。子供は、社会の体現者。社会のありかたが、そのまま若い世代に反映しているものと思われます。したがって、その責任の多くは私たち大人にもあると考えます。
自分が変われば、相手も変わると言います。大人から、現代社会の変革を始める事が必要ではないでしょうか
「子供は、未来からの使者」 と言われています。未来社会は彼らによって成されるのであり、私たち大人は、彼らを「まっとうに」育て、この社会を「まっとうに」する責務があると思います。 
                                                    合 掌 
                                                   


投稿者 ZEN754 : 10:04 | コメント (0)

輝き続けるために

皆様、いかがお過ごしでしょうか。四月に入っても思ったより暖かくならないのに、睡魔と闘っている龍之介です。特に朝起きるときが大変です。ちょっと前まで寒くて起きられないって言っていたくせに、今度は暖かくてなかなか起きられないと言うあたり、我ながらワガママだと苦笑するのみです。

さて、最近はレミオロメンの『茜空』という曲がお気に入りです。この曲はJRA(日本中央競馬会)のCMでも使われているので、聴いたことがある人も多いではないでしょうか。
私は、競馬は予想を楽しんだり、好きな馬を応援したりする程度で、お金をかけることはあまりないのですが、このCMを見て、ふと過去に応援していた馬のことを思い出しました。
その馬の名前は、ステイゴールド。「黄金色に輝き続ける」という馬名の由来とは裏腹に、なかなか勝つことができず、2着や3着が多く、イマイチ馬の代名詞的存在とまで揶揄されていました。
ただ、いつもひたむきに走っている姿に、いつしか応援するようになっていました。当時(今でもですが)、いい所までは行くけど、肝心のところでミスをし、あと一歩届かずにいた自分の姿とよく重なり、そのイマイチさ加減に共感を抱いていたのが大きかったのかもしれません。
しかし、彼は自身最後のレースで初めてG汽譟璽垢鮠〕し、最後の最後でイマイチ馬からの脱却を果たしたのです。しかも、そのレースでとても勝てそうにない絶望的な位置からの差し切り勝ちを収めたことで、5年が過ぎた今でも伝説のレースとして語り継がれています(YouTubeでそのレースが見られると思うので、興味のある方は是非見てください)。
その最後まで諦めない姿に感動し、涙まで流した自分にとって、彼のひたむきさは「どんなに辛くても、最後まであきらめるな」という渾身のメッセージなのだと、今でもそう思っています。
また、JRAのCMの中にも「あきらめないことは勝つよりも難しいことを私は知っている」という言葉があり、あきらめずに生きれいればきっと報われる日が来るはずだと信じています。
ひたむきに生きることは、それだけで何よりも美しく、何よりも貴いのだから。

希望に満ち溢れた春だからこそ、夢に向かってひたむきに走り続ける人を応援したい。また、自分自身もひたむきに走り続けたい、そう思う春の日でした。

投稿者 龍之介 : 00:03 | コメント (0)

2007年04月05日

「休む」ということ

 私は体力がない方だと前に書きました。そのため「休む」ということが重要で、1日のリズムの中に必ず組み入れるようにしています。
 体力がないと、要するに「休みだめ」「寝だめ」「働きだめ」ができないんですよ。
 ある程度動いたら、必ず休む。でないと、すぐに動けなくなってしまう。
 そのせいで、受験生だった時も、徹夜勉強をしたことはありません。夜になると極端に能率が悪くなることがわかっていたので。

 自分にとっては「休む」ということは、行動するために必要不可欠なものです。
 この「休む」ということを意識のレベルでどうとらえるかは、人それぞれ違うものだと思います。
 どうとらえるかによって、休み方も変わってきます。当然「休む」ことによる効果も変わってきます。

 でも人の体って、そんなに思い通りになるものでもないんですよね。
 ベストセラーになった『バカの壁』を書いた解剖学者の養老孟司さんが、「人の体も自然である」みたいなことを書いていて、それを見た時、なんかすごく盲点を突かれたような気がしました。
 人間と自然はよく対比して描かれますし、自分自身も「人も自然の一部」と思いながら、「人はなんとなく自然から遠いもの」というイメージを持っていました。
 でも言われてみれば、そうなんですよね。
 甘く見ていると、しっぺ返しをくう。細心の注意を払っていてさえ、思いがけない災害にあうこともある。
 つまり人は、自分の中にすでに征服できない、思い通りにならないものをもっているわけで。
 わかっていないのにわかったようなつもりになっていることって色々あるのかなあ、と少し反省しなきゃいけない気持ちになりました。

投稿者 YUKI : 10:53 | コメント (2)

2007年04月02日

さくらがきれいですね

さくらがほんとうにきれいですね。
わたしも先週の金曜日に地元松戸のさくらを夫と見て、
土曜日は友人と上野、隅田川ぞいとハシゴしてさくらを愛でました。

能登地方にも
おだやかな生活が戻ることを祈ります。

わたしは、弾き語りの舞台が近づいています。
タイトルは、『吹田若竹物語』。仲川先生のオリジナル新作です。
明日、鼓のかほちゃんと新宿で最終稽古して
そのまま関西に出張です。
いまから宅急便を二つ出して、
1週間の旅の準備。

今から新松戸の田中さんちに稽古に出かけます。
こうして大好きな舞台の仕事があるということは
ありがたいと思います。

アシュレーちゃんが書いた本を読みました。
「ハッピーでいられる自分が好き。
悪口を言われたときでも
誰かがわたしに怒ったときでも
相手に対して起こらないでいられる自分が好き」
「わたしが思うに
彼はわたしを困らせるのが好きなの。
弟に伝えたいのは、
わたしが彼のお姉ちゃんであることがうれしいってこと。」

わたしたちはみな自分の自分だけのオリジナルな人生を
生きているのだ。


投稿者 城谷小夜子 : 08:57 | コメント (0)