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2006年08月28日

欲しいものは愛

 「私はここよ!」 「私はあなたの存在に気付いています。」
人は相手に言語的か非言語的に伝達しながら他者と愛を求めて交流している。

小さな頃はだっこしておっぱいをもらい、子供の時も頭をなでてもらい、大人になると身体的には少なくなりますが、代わりにさまざまの代用物で満足していく。

「絶対に言われたくない一言」や「許せない一言」から、
「その一言で救われた」とか「あの笑顔で勇気が湧いた」まで
ネガティブなものからポジティブなものまで。
「おはよう」「こんにちは」から、
「本物の感情」まで

 ”シカト”が、きわめて辛いイジメですが、子供が悪さをしてわざと親や教師を怒らせようとしているかのように見える場合は、”愛情不足”から無意識的にネガティブな愛さえ求めてしまう。
だからあの純粋でひたむきな子供達に愛を沢山あげたいですね。
行為やその結果とは無関係に
「あなたがあなただから大切なのだ」「あなたの存在が尊いのだ」と愛の言葉をもらっていると、
行動の結果がたとえ失敗に終わっても、自分の存在が否定されるとは思わないので、自分の可能性を自由に発揮できます。

 ネガティブな言葉がいっぱいになってしまうと相手に嫌なことを言ってしまう。
もらいたくない嫌な言葉はためなくてもいいですね。あなたはそう思うのねと。相手の言うことを真に受けて嫌な気持ちになることはないから。

 ポジティブな言葉はエネルギィーになります。心にいっぱいためましょう。
おしげなくもらい、おしげなくあげる。

 時間の使い方によって愛ある言葉の強さは代わります。他者との関わりが少ないほど、弱いものになります。

 自分に自分で愛をあげても心に沢山溜め込むことは出来ますよ。
お風呂にはいりながらでも「今日も一日良く頑張ったね」と自分を褒めることも出来ます。

 私もコメントをいただき元気を貯めています。ありがとうございます。

心にいっぱいの愛を!!

投稿者 春野桃 : 19:22 | コメント (0)

2006年08月27日

昔読んだ絵本の話

ふと、子供の頃に読んだ絵本のことを思い出す。

98歳のおばあさんと5歳の子猫が一緒に住んでいて、子猫が一緒に遊ぼうと呼びかけてもおばあさんは「だって私はもう98歳だから」と断っていました。
そんなある日、おばあさんが99歳になったため、子猫が誕生日のケーキに飾るろうそくを買いに行くことに。しかし、途中でろうそくを落としてしまい、5本しか持ち帰ることができませんでした。
落ち込む子猫に、おばあさんは「それじゃあ、今日は私の5歳の誕生日だね」と励まし、その日は素敵な誕生日になりました。
翌日、子猫がおばあさんを釣りに誘ったときに「だって私はもう99歳だから」と断ろうとしました。でも、昨日5歳の誕生日祝いをしたことから、「私も5歳だから一緒に釣りに行くよ」と言って、一緒に魚釣りに行くことにしたのです。
そして、おばあさんは子猫以上に張り切って、魚釣りを楽しんだのでした。

話の内容はこんな感じでした。タイトルや作者などを忘れてしまったので、インターネットで検索したところ、「だってだってのおばあさん」というタイトルであることが分かりました。作品のタイトルが一瞬にして分かるなんて、インターネットはやっぱり便利だな。
……と、感心する一方で、なぜこの絵本のことを思い出したのか、また、なぜ今でも記憶に残っていたのかはよく分かりません。たぶん、99歳のおばあさんが5歳に若返るという設定(実際に若返ったのではなく、気持ちの上で若返っただけなのですが)が、子供心に面白くて、今でも覚えていたのではないかと思います。で、何らかの拍子で思い出したのではないか(何の拍子で思い出したのか不明ですが)と、自分なりに推理しております。

ただ、改めて振り返ると、このお話の中には、とても深いメッセージが込められているような気がします。
「だってもうこんな年齢だから」と理由をつけては、何もやらない人って結構いるのではないでしょうか。また、自分で勝手に限界を作って、そこで諦めてしまう人も含めて(かく言う私もその一人でした)。
でも、このおばあさんのように考え方を一つ変えれば、新しい道が開けるのかもしれません。自分は99歳ではなく、5歳だと設定することになって、ここまで変われたのですから。誰だってちょっと工夫をすれば、これから先、いくらでも物の見方を変えられるのかもしれません。
ちょっとした戒めを受けた気分になりましたが、私も言い訳せずにまずは実行するように心がけて行きたいと思います。生きている限りは夢を追いかけることができるわけですから。

投稿者 龍之介 : 22:54 | コメント (0)

お伝えしたい事・・・

 ● こんにちは、まるです。今日は、これまでの経験則や学んできた事、あるいはカウンセリングの中で
  感じてきた事を私なりにまとめてみました・・・

 ◆ これまでの子育てについて、ご自分を責めないということ・・。

  カウンセリングを重ねていくうちに、親御さんは色々なご自分の気持ちに気付かれていきますが、
  「私の子育てが悪かったのです・・」「子どもの気持ちを理解してあげられなかった・・」「子どもが
  出していたサインに気付かなかった・・」などご自分を非常に責めてしまう方がおられますが、
  責めすぎて落ち込んでしまう事は、マイナスに作用していきます。
  内省されることで、ご自分や子どもさんの気持ちに気付かれたその時点で、一歩前進です。
  気付かれた事をプラスと捉えて、これからの対応を考えていく事がとても大切です。


 ◆ 親御さんが腹をくくるということ・・・。
  
  不登校、引きこもり、ニートのご相談にのっていて、その期間が長くなればなるほどやはり回復
  への時間はかかるというのが実感です。しかし、時間がかかっても必ず立ち直っていきます。
  決して、焦らず、諦めず、わが子を信じきる事・・・・そして、関心を寄せながらも子どもが動き出す
  のを待つことが、大切だと思います。そういった意味で、親御さんの覚悟がしっかり出来ている事
  は、子どもさんへの対応をしていく上では、とても大切な事です。


 ◆ ありのままを受け入れてあげるということ・・。

  学校に行けないことや引きこもっている事、あるいは就労していない事・・・など子どもさんの今の
  状態をそのまま受け入れてあげて欲しいのです。“ありのままを受け入れる”と言葉にすると簡単
  ですが、親御さんにとって、これは大変な思いである事はよく分かります・・・
  私の経験則から、「元気で笑ってくれたら、学校に行かなくてもイイ・・・・」と本当に心から思えて
  肩の力が抜けた時に、逆に娘は少しづつ良い変化を見せ始めました。
  それまで頭の中で理解していても、心のどこかで「何とか早く登校して欲しい・・」と言う気持ちが
  ある時には、いくら「休んでもいいよ・・」と言っても、親の思いと言葉には自己不一致性があり、
  多分そんな所を、感受性の豊かで敏感な子ども達は、見抜いてしまうのでしょう・・・
  親に、自分の現状をそのまま受け入れては貰ってはいない事を感じ取り、更に引きこもってしまう
  のかも知れません。
  家族から、“ありのままを受け入れてもらうこと”は、家庭が安心で安全であり、癒しの場であると
  言う事を感じさせてくれる・・・・そこからが、始まりではないかと思います。


 ◆ コミュニケーションをとる努力を重ねて欲しいという事・・。

  カウンセリングは、ほとんどが親御さんからの相談で始まりますが、子どもさんとの会話は、全く無い、
  多少の会話はある・・・など様々ですが、親子間のコミュニケーションが不足している場合がほと
  んどです。
  親御さんの相談から本人にもアプローチして、カウンセリングに来られる場合は、本人とのカウンセリング
  も始まりますが、そんな時、親御さんから見ている子どもさんの捉え方と、本人から見ている親御
  さんの捉え方にかなりの相違点、認識のズレを感じる事があります。
  コミュニケーションの不足が、お互いの気持ちをスレ違わせたまま何年も来てしまっているのを感
  じます。
  親御さんの方は、「何を考えているのか分からない・・」「何も話してくれない・・・」と言われるのですが
  本人に聞いてみると、「話しても分かってもらえない・・」「言っても無駄・・」と感じていて、話さない場
  合いもあります。
  心の中では、色んな思いや感じている事もあるのですが、そんな思いが話すことをためらわせます。
  本音や弱音を言えないような親子関係になってしまっているのだと言う事を親御さんに気付いてほし
  いのです。
  何も反応していないように見えても、必ず愛情のある言葉かけであれば本人には伝わっていきますし
  諦めずに続けて欲しいと思います。
  そういう小さな積み重ねが、信頼関係の回復に繋がると思うのです。


 ◆ 働きかけていく時期は、早い方が回復も早い・・・。

  最近のご相談は、子どもさんの年齢が20代後半、30代と段々高くなってきています。
  お話を伺っていて、本人が出しているサインを親も周りの大人も見過ごしてしまい、もっと早い段階
  で気付いていてくれたら・・・と思う事がよくあります。
  特に家庭内暴力が無い場合は、そういう生活に家族全体が慣れてしまいそれなりに安定してしまい
  長期間になってしまっている場合もあります。
  ところが、父親の退職が間近であるとか、退職してしまい、経済的な面から、この先の老後の生活
  やご自分達が亡くなった後の子どもさんの事を心配して、不安が高くなり、「なんとかしてほしい」と
  来られる場合があります。
  先にも述べましたが、働きかけは早いほど回復への道のりは早いというのが実感です。
  現在問題を抱えて、相談されていない方は、公的、私的機関を問わず専門家へご相談してほしい
  と思います。
  きっと、問題解決の糸口が見付かるはずですから・・・。


 ◆ 最後に・・・。

  最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

  日ごろ感じている事をお伝えしようと長くなってしまいました。ご質問含めて感想を聞かせて頂けると

  嬉しいです・・。何か、少しでもお役に立つ情報があれば、また発信していきたいと思っています。

  

投稿者 まる : 15:28 | コメント (0)

2006年08月26日

幸福とは・・・

城谷小夜子です。

長い長い1週間でした。
家族でささえあっています。
苦しさ、悩み、悲しみはその人だけのもの。
わたしはあなたになれないし、
あなたはわたしではない。
だけどね、
そばにそっと寄り添うことは
できるのかな、と思います。
カウンセルも始まっています。
こころをことばで伝えることが出来るカウンセラーに
なりたいと思います。
あなたの傍にそっと寄り添えるような
酸素みたいになりたいな。

辻 邦生さんのことばがこころにしみ通ります。

「落ち着いた環境とは、
1日1日の静かな時間を
季節のゆっくりしたリズムに合わせて生きることです。
決してあせらないこと、
決して未来の結果についてくよくよしないこと、
それがまず落ち着いた雰囲気を私たちにもたらしてくれます」

「本当の幸福は人間を謙虚にするといいます」

投稿者 城谷小夜子 : 16:53 | コメント (0)

甲子園の夏

 このブログを始めて一ヶ月ほどがたちました。
 ブログというものを知ってはいたものの、書くことはおろか読んだことすらほとんどなかったので、どうなるものかと不安もありました。
 今は、皆さんのブログを読む、という新しい楽しみができています。

 龍之介さんの「夏の風物詩」を楽しく読ませていただきました。
 私にとっての「夏の風物詩」といえば、甲子園こと全国高校野球大会。連日楽しんだ熱戦も終わりました。
 3年間という限られた時間、しかも1度でも負けたらそれで終わりの甲子園にはやっぱり特別な輝きがあります。

 スポーツはいいです。
 日常をいっとき忘れて、白球のドラマに浸る。
 そのドラマに言葉はいらない。
 頭がからっぽになります。

 思い返せば2006年は、トリノオリンピック、WBC(野球の世界大会)、サッカーW杯とスポーツ観戦の当たり年でしたね。
 皆さんも見ていたでしょうか。

投稿者 YUKI : 10:21 | コメント (2)

2006年08月22日

首にタオル

 残暑お見舞い申し上げます。

 暑い今年の夏は首にタオルを巻いて家事をしています。
それを見ていた夫が「タオル似合うね」と笑っている。私が髪を切っても気付かないのに!
でも、なんでも褒められることはいい言葉としてもらっておくね。
 暑さに弱い私はいつもの年は涼しくなってからを決め込んでいるのですが、
今年は違って身辺整理をしなくてはならないので忙しい。(たぶん来年からは夫と二人暮しの第二の人生の為に)
 気が付くとお昼ご飯も食べずになんてことも、暑さと忙しさで疲れてから気付く。
えっもう一時というぐあいに。

 こんなことありませんか 
 「この仕事を完全に終わらせるまでは楽しむことは出来ない。」とか
 ひとつの目標を達成したその瞬間に、目指さねばならない次の目標を見つけて、進んでしまったり。
結局、満足できなかったり、疲れ果てたり、虚しくなったたりしませんか。

 こんなときは自分に言い聞かせます。
 「すべての仕事を終える前に楽しもう」
 「成し遂げるたびに自分の成功のひとつひとつを認めるという楽しいステップを踏もう。」

 こんなことありませんか◆
 「どうして私にはこんなことが何度も起きるのだろうか?」とか
 ほとんど成功したり達成したのに、最後になって振り出しに戻ることを繰り返したりとか
 或るポイントを境にそれまでのパターンが途切れて、その後はただの空虚となったりしませんか。

 こんなときは自分に言い聞かせます。
 「ひどい状況の場所にとどまらなくてもいいよ」
 「自分のやることを必ず全うさせる」
 「自分の好きなように結末を書けることを喜んでいいんだよ」

とこんなふうに今年の暑い夏をうまく乗り切って、楽しい人生の午後にしようかなって考えています。

投稿者 春野桃 : 22:07 | コメント (2)

2006年08月20日

美味なるものへの感謝

先日、旅行(と言っても日帰りですが)に出かけたときに、道の駅で野菜の直売所があったので、ちょっと立ち寄ってみる。
そこで、袋入りのトマトを発見。8個も熟したものが入っているのに、値段が200円という安さに思わずビックリしてしまい、即断で買ってしまう。

家に帰ってから、買ったトマトをどのように調理しようか、料理の本を見ながら作戦会議を始める。ただ、料理は簡単なものなら作れる程度という腕前ゆえに、手の込んだものは作れない。なるべく簡単にできる料理探しがメインになってしまうのが何とも悲しいが、トマトを和えたパスタやサラダなどを発見し、「まぁ、これなら何とかなるかな」と目星を定めることに。

一安心したせいか、のどが渇きを訴えてきたので、冷蔵庫の中にある麦茶を飲もうと思い立つ。冷蔵庫の扉を開けると、視線がさっきしまったトマトを捕える。それをきっかけに、ふと昔のことを思い出してしまう。
親戚が家庭菜園をやっていて、その中にトマトがあったこと。その家庭菜園で育てたトマトを食べてのどを潤したこと。そのとき食べたトマトがとても美味しかったことなど。特に、とても暑い日に食べたトマトは、野菜というよりも桃やプラムのようにジューシーだった記憶が蘇ってくる。
そんな懐かしさに浸りながら、そのままで食べてみようかなと思い、一つ取り出す。軽く水洗いして、そのままかぶりつく。途端に、瑞々しさとトマトが持つ本来の甘味が口の中で広がる。滴り落ちるトマトの果汁をこぼさないようにすすりこみ、喉元に流し込む。あまりの美味しさに「うまい」と悦に入り、思わず笑みが浮かんでいた。
さすがは採れたて新鮮なだけのことはある。あの頃食べたトマトに負けるとも劣らない美味しさで、あっという間に全部食べてしまう。更にはもう一つ食べようかと考える始末。

結局、事前にあれこれ検討したのにも関わらず、ほとんどは生で食べてしまいました(2つだけサンドイッチの具材として使う)。料理のレパートリーは増やせなかったけど、野菜本来の味を堪能できたので、良しとします。
きっと、丹精こめて手がけたものだから、これだけ濃厚な味わいになったのかもしれないな。美味しいトマトを頂くことができ、農家の方々に畏敬の念を感じるとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

投稿者 龍之介 : 23:29 | コメント (4)

2006年08月19日

私事で・・・

城谷小夜子です。
私事でごめんなさい。

8月16日に、在宅介護7年目の義母が亡くなりました。
明日お通夜です。
長い長い4日間でした。明日あさってと、長い2日間が続きます。
いろんな思いが錯綜しています。
このときこそ、自己を高める時だとこころしています。

投稿者 城谷小夜子 : 22:47 | コメント (2)

聞こえぬ声を聞くために

 今回は、ちょっと思いつくまま書いてみようと思います。もしかしたら読んで不愉快な思いをする人もいるかもしれないけど、先に謝りますので許してください(笑)。

 「言葉が無くても通じ合える」なんていうのは一種の奇跡みたいなもので、普通は思っていることは言葉にしないとわからない、と思います。
 ひきこもりをしている時というのは、本人も親も、自分の中になんだかよくわからないものがあって、それをうまく言葉にできない。相手にも伝えられない。
 「人間はコミュニケーションに失敗すると凶暴になる」と本に書いてありました。
 だから怒ったりイライラしたり悲しかったりするのは、なんだかうまく通じ合えない時なのかもしれません。逆に言えば、伝えたいことがある時。

 親は大抵働いていたり、働いたことがあったりします。外で働くって言うのは、けっこう、楽じゃない(それはよーくわかります)。
 嫌になる時もある。疲れて家に帰って来て、でも待っているのは、子供の暗い表情、暗い声。それどころかこちらを見てもくれない・・・・・・。
 私ってなんだろう、と虚しくなる時もある。怒りたくなる時もある。親だって人間。

 でも。
 もしも仕事が楽しくて楽しくて仕方のないものだったら、家にいる子供の姿を見て、心配はしても、苛立つことは無いかもしれない。
 仕事のストレスで苛立っているのか。子供に苛立っているのか。微妙なところだけど、ちょっと冷静に考えておいた方がいいかもしれない。
 前者の怒りを子供にぶつけてしまったら、多分、後でちょっと後悔する。

 もしも子供が、「お父さんお母さん、お疲れ様。いつもありがとう」と言ってくれたら、どうだろう。状況は全く同じでも、気持ちは全く違うんじゃないだろうか。
 実際にはそんな言葉は聞けず、暗い声、罵る言葉・・・・・・でも、けっして感謝の気持ちがないわけではないんです。
 ただ、今は言えない。本当は伝えたかったとしても。
 まして、怒った顔に対して「ありがとう」というのは、普通の時でも難しいこと。

 働くのは、辛いこと。
 でも働けないのは、もっともっと辛い気持ちになることもあること。
 できるなら、自分の親にはわかってもらいたい。

 ひきこもりをされている方のお父さんお母さん、いつもお疲れ様です。
 お子さんたちは、言葉にはできなくても、ちゃんと感謝もしています。
 もちろん、ひどい言葉や辛い言葉だってそれなりに本当の気持ちかもしれないけど・・・・・・でも、けっしてそれだけじゃないはずです。
 本当にそれだけなら・・・・・・1番辛い時に、あなたのそばにはいないはずだから。

投稿者 YUKI : 10:17 | コメント (2)

2006年08月15日

親との関係

親との関係に悩んでいる方は多いのではないでしょうか。
 我が子のために親のためにと絡み合ってしまう事も多々ありがちです。

 健康な発達の親離れは子供にとってこれまでにない大きな試練です。
 純粋に親のいうことをきいてきたそれまでに区切りを付けて、自分作りに今度は純粋に取り組む。
それは、自己主張が激しくなり、自己決定できるようになり、自分らしさが育っていきます。
 けっこう自分の中では大変な作業です。
 
 やがて親しい大人同士の関係になることが親子両者にとってのひとつの目標でもあります。
離れていく寂しさを強く感じてしまい、良い関係が築けるということに気付けないこともあるのではないでしょうか。
そうすると、親の方は自分の寂しい感情を子供にぶつけることになりかねません。
子供はというと、そんな親の心配をしてしまうと、自分の心に耳を傾けることができずに、親のためにうごいてしまうということも多いのではないでしょうか。

 そんな子供達に私達親が出来る事というと、”自由”にしてあげることではないでしょうか。
その一方で子供を抱える役割も持っています。
 子供の言葉に表れた表層で過激に反応せずに、上手く受け止められれば、子供の気持ちはそこで収まる可能性も高いと思われます。
 自分で考え失敗し、自分の人生の主人公になることが必要な子供たちに、大人は分かっていても言わないで待つことは子供にとってこの課題を乗り切れる環境ではないでしょうか。
 
 私自身も子離れの時期です。やがて大人同士の仲良しになることを楽しみにしています。
 若者達の日々の純粋でひたむきな頑張りにエールを送るとともに、
その手(この手)を放しましょう。大空へ飛び立たつために。
きっと、仲間としてまた帰ってきます。

 私も子離れを試練に感じているとともに、子供達もこの試練を乗り切れますようにと応援したいと思っています。
 

投稿者 春野桃 : 13:22 | コメント (2)

2006年08月13日

続・夏の風物詩

皆さん、いかがお過ごしでしょうか? ちょっと夏バテ気味の龍之介です。
それなのに、今日は一日中外にいたので、少し日焼けしてしまいました。首の後ろがヒリヒリして痛いです。でも、日焼けも夏の思い出の一つということで、割り切ることにします。

話は変わり、夏の風物詩といえば、怖い話もその一つですね。
子供の頃、親に隠れて「怖い話特集」の番組を見ていた覚えがあります(親がこの手の番組を見せてくれなかったので)。ちなみに、「怖い話特集」を見ているときに、親にその現場を目撃された瞬間が一番ヒヤッとしました。一応、涼しくなることには成功しましたが、あまりいい思い出ではありません(今となっては笑い話ですが)。
ただ、こんなことを言っていますが、実は怖い話はあまり得意ではありません。特に、ホラー映画はダメです。モンスターやらゾンビが突然出るシーンなんて、本当にビックリして、心臓がバクバクするので(それが見せ場なんでしょうけど)。

そんな中、ある雑誌を読んでいたら、恐怖に関する心理的メカニズムが紹介されていました。
人が恐怖を感じると、脳から「危険が迫っているから守りに入れ」という信号が送られ、身を守るために筋肉が収縮緊張するそうです。ビックリしたときに体がびくつくのもその辺に理由があるみたいですね。それがヒヤッとしたり、冷や汗をかいたりすることにもつながるようです。
また、恐怖を感じる理由は、予測できない状況に遭遇すると、頭の中が「不明なもの」で占められ、それが不安や恐怖につながるとのことです。特に、怖がりな人は自分で不安材料を集めてしまうため、不安が拡大されるらしいです。

そう言えば、高所恐怖症の人は高い所が怖いからではなく、高いところから落ちる場面を想像して、足がすくんでしまうという話を聞いた覚えがあります。イマジネーションが豊富ということの裏返しではあるのですが、あまり考えすぎるのもダメらしいですね。
なお、恐怖心を抑えるには、あまり深く悩まない方がいいとのことです。つまり、「〜だったらどうしよう」と考えるのではなく、「まぁ、〜でも大丈夫か」と思うようにすればいいそうです。
要するに、自分自身で作った不安を、発想を変えることで打ち消すということですね。そうすれば、考え方ひとつで物の見方も変えられますし、よく考えたらとても大切なことかもしれません。
私もその精神に乗っかってみようと思います。そうすれば、ホラー映画も見られそうですから。

投稿者 龍之介 : 22:39 | コメント (2)

心動かされるもの

 ● こんにちは、“まる” です。

  引きこもりの状態から、親子間のコミュニケーションが回復
  してくると、本人から「〇〇へ行きたい・・・」と言ってくる事
  があります。

   そんな時は、チャンス!!何はさておき、可能な限りその
  要求に応えるべき・・・と学んでいたので、子どもが、「映画
  を見に行きたい・・」と言ったある日の夕方・・

   いざ、映画館へ〜  上映中の映画を調べずに行ったもの
  だから、丁度間に合った映画のタイトルは・・・・

   「フレディ  VS  ジェイソン」 一瞬迷いましたが、とに
  かく「見ないよりは、いっか〜」とスクリーンの前に座った
  二人・・・。

   そこで繰り広げられるフレディとジェイソンの死闘(もともと
  死んでる・・)
  飛び散る血飛沫・・(こっちまで飛んできそう・・)
  闘っても々決着つかず・・(あたり前)
  見終わった後に残る、胸のムカムカ感(感動とは程遠い)
 
  
  ・・・・・とこれは、失敗談ですが、映画や本人の好きな
  アーティストのライブなど、親御さんと一緒なら外出可能
  であれば、出かけてみる事をおすすめします。


   特にライブであれば、ファンやアーティストから発する
  力強いパワー、エネルギー、輝くオーラ(?)・・・・それ
  らすべてが,五感を刺激し、砂地に水が染み込んでいく
  ように、頑なになった心を少しずつ、々しなやかにして
  くれます。


   そして、栄養ドリンクを飲んだ後のように、なんだか
  元気に見えるのです・・・。

   ただし、親御さんの場合は、二日後に必ず筋肉痛
  が出てくるので、ご注意を!!


   あなたにとっての、「心動かされるもの・・・」って

  なんでしょうか・・・。

投稿者 まる : 13:10 | コメント (2)

2006年08月12日

テレビゲームのお話

 前回、漫画の話をしましたが、今回はゲームのお話。

 日本のサブカルチャーの中で、いまだに悪者扱いされることもあるのが、PS、GBAなどのいわゆる家庭用ゲーム機。
 「子供が家にいるのは仕方ないけれど、ゲームばかりやっているのは心配。なんとかやめさせたい・・・・・・」という親御さんもいらっしゃるのではないでしょうか。

 私は子供の頃からゲームが大好きです。世間でゲームが悪者扱いされることが起きると、かなり不満に思いましたし、悲しくもありました。
 ただ、この「悪者扱い」には非常に単純な図式があるように見えます。ゲームを良くないものだと言っている人は、ほぼ100%、ゲームをやらない人である、ということです。

 ゲームをやると現実と空想の区別がつかなくなる、なんて言葉も、ゲームに馴染んだ人ならすぐにありえないってわかるんですけどね。
 最近(?)「ゲーム脳」なんて言葉もあるけど、ショッキングなフレーズだけが一人歩きして実態を顧みない、っていういつもの社会現象に見えます。

 ゲームはまだ歴史も新しく、どことなく特異なものに見えるのかもしれません。でも、要は単なる娯楽、楽しい遊びです。
 人気作家の宮部みゆきさんは自他共に認めるゲーム好き。著名な精神科医の香山リカさんは「テレビゲームと癒し」という本を書いています。機会があればどうかご一読を。テレビゲームに対する見方が変わると思いますよ。

投稿者 YUKI : 12:45 | コメント (3)

叡智と慈悲

城谷小夜子です。
ネコちゃんショックから12日経ち、
我が家は日常生活に戻りつつあります。

今朝は彼とファミレスで朝食。
わたしはチーズサンドセット。かれは、和朝食。
彼を針灸院でおろして、わたしはブログ書き。
もう一度針久院に迎えに行って、
二人で義母の病院へ行きます。
在宅介護7年目。ちっともベテランになりません。
在宅介護のおかげで、どれだけのことを考えることが出来たか・・・
感謝です。

鈴木秀子さんが2階から落ち、死にかかったとき
「絶対の存在から、あの世(この世のこと)で大事なことは2つしかない。
知ること=叡智 と 愛すること=慈悲 だと教えられた」
と話されていました。
腹の底からわかりたいなぁ・・・。

投稿者 城谷小夜子 : 11:30 | コメント (2)

2006年08月09日

牛とろ丼

 先日息子がある大学のオープンキャンパスへ出かけました。
夏季講習で夏休みも土曜も日曜も関係なく毎朝学校へと暑い日が続くなかチャリンコで通学。
そんな息子の息抜きに少しなったようです。(本当は自然の中での生き抜きができたらいいね。)
 昼食を友達と学食でとり、牛とろ丼を食べて、あまりの美味しさに共に感激したようです。
なんとウーロン茶までついて500円。
 そして二人は、「この牛とろ丼美味しい!!絶対この大学に入ろう」と約束したそうです。
なんか私はほっとしました。
 もちろん動機は別でしょうけれど、この軽やかさがなんともさわやかです。

 感じたことを感じたままに口にできる。
当たり前のことではありますが、大人になるにつれて天真爛漫でいられなくなりがちです。
 自分と他人の間で、互いに心を開いて、
感じていることや欲していることを分け合うことの出来る感情は本物。
何時もそうありたいものです。
 最近無口になった息子の話を聞いてなんだか単純に嬉しかったです。

 最近の私の本音は飛び立つ雛よ!となんとも寂しくもあります。
子育ての時期はあっという間に過ぎていっちゃいました。神様あともう少しなんて無理。
でもね、いつでも何かあったときには帰る場所はちゃんとあるからね!!
 振り返ってみてちょろちょろとうるさかった時期が何物にも変えることの出来ない楽しい日々でした。
たっぷりの愛情をかけて育て、たっぷりの楽しい時間をもらいました。
 しかし、息子は私のことを恐かったと言います。
そうね、怒ってばかりいたかも、心に余裕がなかったもんね。ごめんね。
素直に謝ると尾を引きませんね。

 純粋な子供たちを見ると、美味しいお母さんの手作りの料理を食べて、
みんな自由でのびのびと元気でいて欲しいと思う今日この頃です。

投稿者 春野桃 : 21:58 | コメント (2)

2006年08月05日

虹の架け橋(2)

宝船がめでたいのは、いろんな神様が「てんこ盛り」になっているからではないだろうか。

神様は、みんな笑っていて、ニコニコと幸せそうだ。
あれだけ神様がいて、しかも、同じ船に乗り合わせているのだから、鬼に金棒といえる。
しかも、お願いすれば、やってくるのだから、すばらしい。
どんな悩みでも、どんな困難でも解決できる。
めでたし、めでたしだ。


以前は、問題を抱えていても、相談するところがなかった。
相談をしても、しなきゃよかった、と思う結果に終わったものだ。
それは、相談する相手を、間違えたというよりも、
相談に乗るための、専門的な技法が一般化していなかったためだ。
ここにきて、相談がシステム化され、
その技法が社会的に普及するのはすばらしいことだ。
誰でも、手軽に、効果的な相談が受けられる社会が実現するだろう。
21世紀の新発明といえるのではなかろうか。

カウンセリングルームは宝船であれ、と願っている。

投稿者 恵比寿 : 14:48 | コメント (0)

漫画を読みませんか?

 漫画・アニメ・ゲームといった日本のサブカルチャーは海外でも高い評価を受けています。日中、家にいることが多いと、時間がたっぷりあるのでついつい色々なことを考えてしまう・・・・・・ということもありますよね。そんな時、これらは強い味方になってくれるでしょう。
 今回は、その中でも漫画のお話です。
 もっと漫画を読みませんか?
 かつて、何十年か前には、「青少年を守る会」から抗議されたり、不買運動の対称になったことすらある漫画ですが、現在では世の中で(多分)市民権を得ています。
 出版業界も色々大変みたいですが、今、日本の漫画文化は非常に高度な発展を遂げているように見えます。
 「ごくせん」「Dr.コトー診療所」「海猿」など例をあげるまでもなく、人気ドラマの原作が実は漫画、というのもよくあること。
 せっかく日本に生まれて、漫画を読まないのはとてももったいない。
 高度に発展しすぎて、最近では漫画の読み方がわからない、というお子さんもいらっしゃるみたいですが、親御さん達には是非、お子さんが小さい頃から漫画に親しむ機会を作ってあげて欲しいです。お子さん達は、人生のいつかの時点できっと素晴らしい作品と出会い、そして大切な宝物にするはずです。
 親子で同じ漫画を読むことができれば、その作品について語り合うこともできます。共通の趣味がある、というのは、お互いの信頼関係を築く時にとても心強いことですよね。

投稿者 YUKI : 13:54 | コメント (0)

ネコが・・・

今後の高齢化社会のなかで、何が必要とされているのか。
さびしいこころ。
むなしさからの脱却。
生きがいの創造。
生活のオンとオフ。
しあわせについて。
人生について。

思い出せば、遊びのように長い年月舞台に立ってきたなぁ。
苦しいこと悲しいことがありながらも、責任はなかったので、
みんなとバカンスのように、舞台生活を充分楽しんできたのだ。
幸せな年月を重ねられたと思う。
今、舞台数は少なくなってしまったのだが、
今までやりたかったこと、
自分で挑戦したかったことに今、挑戦しているのだ。

そう思えば、わたしの苦しさは、自分を試したくて自分で求めている苦しさなのだ。

なくしたものを数えるのではなく
今あるものに感謝しよう。

しかも、わたしには、
こころから相談できる人がいる。
わたしは、くじけやすいし、苦しさから逃げたくなる。
うまくいかないことも多い。
失敗もする。自分がいやになることもある。

・・・・・わたしを励ましてくれることば・・・・・
「世界であなたはただ一人
あなたがやらなければ
それは実現されないのです」マーサ・グレハム

「これがいい。○○がいい」 丸山敏雄

「天は見ているよ。
本当に必要なことであれば、道は続く」 城谷小夜子

わたしはもっと謙虚にならなくてはいけない。
もっともっと、優しい人になりたい。
もっと素直な人になりたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ネコが死んで4日。まだ力が出ません。弱い自分に驚いてます。
                     

投稿者 城谷小夜子 : 11:12 | コメント (0)

「親の会」の効用

◆ 我が子が不登校、ひきこもりの問題を抱えた時、親自身もひきこもりがちになることがあります。
 私の経験談になりますが、当初は現実を受け入れられず、友人を避け、近所の人の目を避け、
 「なぜ家だけ・・」 「私の育て方のどこに問題があったのか・・・」など等、心の中はネガティブトーク
 でいっぱいに・・・

  食料の買出だしは、遠くの遅くまで開いているスーパーまで出かけ、鮮度の下がった野菜を手に
 涙がポロリ・・・本当にその時期が一番辛かったですね・・・

  自分ひとりで問題を抱え込みすぎると、どうしてもマイナス思考に陥りがちで、表情や言動、態度
 までがマイナスの方に作用していき、親子関係を更に悪化させたりします。


 「親の会」に参加する事は、そういうしんどさや辛さを「会」の中で話すことで、お互いに共感したり
 受容される事で、随分と気持ちを楽にさせてくれます。

 一気に問題解決する訳ではありませんが、気持ちを楽にさせる事がゆとりを生み、そんなゆとりが
 親子関係に少しづつ良い変化をもたらします。

 
 もし、まだ、参加した事が無い親御さんがいたら、ご自身が求めて行けば温かく迎えてくれる
 「親の会」がきっとあるはずですから・・・・

 まずは、親御さんが「ホッ・・」とできる居場所作りからはじめてみませんか・・・・

投稿者 まる : 01:21 | コメント (0)

2006年08月02日

レールから外れたって大丈夫

 こんにちは春野桃です。

 正しい答え、平均的な答えが生きるうえには無い事に気付かず暴走していた。
あるとき、そんな自分に疲れた。
完璧な人間なんているはずも無い。完璧を目指すほどに不完全な状態でしかない。
たぶん、自分自身の弱いところや、不完全なところが沢山あることも受け入れられなかったのである。
 
 ”あなたはあなたのままでいい”この言葉は衝撃的に胸に響いた。
けれども何がそんなに響くのか分からなかった。それほどに自分が分からなくなっていた。
 ”ありのままの自分”ありのままの自分て何?言葉どうりのことなのに、それ程に偽りの自分がいた。
 自分を受け入れて、そこから自分のやり方で、じゃあどうすると考えていく。これでいい。
 
 皆と違う自分を生き抜き、自分なりの生き方に自信を持ってゆくことはとても難しいことであるけれど、
自分らしさに添った生き方はなによりもすばらしい。
 
 今迷いの中にいたとしても、必ずネガティブな体験こそが自分自身を支える力となります。
 みんなと同じ、平均的な生き方、レールに戻る発想からは手に入れることのできない強さ、自己肯定感
は自分の中に持つネガティブな部分も受け入れたときに手に入れることが出来るように思われます。
 
 幸い私達人間は共に生きています。暗闇の中で一人ではどうしようもなくても、辛いこと、苦しいこと、悔しかったこと、なんでも一度話すことにより何かが必ず見えてきます。
弱音を吐いたってちっともみっともないことではありません。
 皆で共に自分らしく生きて夢を語り合いたいです。

投稿者 春野桃 : 12:38 | コメント (0)