[142] あなたのため息が聞こえてくる 投稿者:わた 投稿日:2010/04/19(Mon) 10:37


私の祖父はアルコール依存症でした
暴力は振るいませんでしたが、毎日毎日酒を飲み酔っ払っていました
自販機でワンカップの酒を1回につき3本くらい買い、それを1日5・6回繰り返していました
しかも車で買いに行くため、最後のほうは泥酔状態になり、道路の真ん中で車を止めてしまったり、家に車が突っ込んできた事もあります
家に入る事が出来ず、外で酔いつぶれていた時、よく大きな声で祖父は私の名前を叫んでいました
私はその声を聞く度に、怖くなって両手で思いっきり耳を塞いでいました
なぜ祖母や息子である父親の名前でもなく、孫の私の名前を出すのか私には分かりませんでした

私の父親は単身赴任でいつもは家におらず、上の兄姉も年が離れているため私が中学に上がったときにはもう二人は家を出ていました
ですので家にいるのは祖母と母親と私、そして祖父の4人でした
家庭内は祖父の酒のせいでいつもストレスがたまる場所であり、暗い雰囲気でした
そして、私も高校を卒業すると家を出ました
大学に入ってからは長期の休みでも実家へはほとんど帰らず、ましてや社会人になってからは1回も実家には帰っていませんでした

そんなある日、私は仕事の都合で大阪に転勤が決まりました
その頃、祖父は癌で長い間入院をしており何度も危篤状態になっては一命を取り戻すというような状態でした
母親から電話があり、もうそんなに長くないから大阪へ行く前に一度だけ祖父に顔を見せてやってくれないかと言われました
はじめは嫌でしたが、最後だからと思い私はしぶしぶ地元に帰りました

久しぶりに会った祖父は口やら鼻に一杯管を通され、寝たきり状態になっており言葉はしゃべれず、目は開いてるもののそれが見えているかどうかも分からない状態でした
死が近いのは明らかでした
私はベットの近くに行き、祖父の顔の近くで自分の名前を言いました
そしてこれから遠くに行くから、なかなか会えないけど元気になってねと伝えました
その時、ずっと天井を見つめていた祖父の目から涙が流れました
私はそれ以上何も言わず、ただずいぶんと小さくなってしまった祖父を見つめていました
来てくれてありがとうねと祖母に言われながら部屋を出る際、私は振り返って祖父に「また来るね」と言うと、「おぅ」と搾り出した声で祖父が答えました
ここ何ヶ月も声を聞いていなかったという祖母や母親は、とても驚いていました
そして、その日の夜、祖父は亡くなりました

葬式のとき、祖父の写真を眺めていると隣に祖母がやってきて、おじいちゃんはあんたの事が一番好きだったのねと言いました
身内の中で最後まで見舞いに来なかったから、きっとあんたの顔を見るまで死ねなかったんでしょ
私はもう一度、祖父の写真を見て昔の事を思い出しました
今までは酒に酔っ払っていた嫌な思い出しかないと思っていましたが、小さい頃はよく一緒にキャッチボールをしたり、釣りに行ったり、山に遊びに連れて行ってくれたり楽しかった事も沢山ありました。

祖父がなぜ酒に溺れたのか本当の理由は分かりませんが、彼は寂しがりやで本当は誰かに自分のことを分かって欲しかったと思います
しかし、人と接することが不器用なため自分の気持ちを素直に言う事が出来ず、孤独だったと思います
そしてそんな自分の不器用さと似ているものをきっと私にも感じたから、彼は私の名前を叫び続けていたと思います

私は学生時代、長い間引きこもりを経験してきました
そして、社会人になってからも人間関係に悩み苦しみ転職を繰り返し、そうした中でアルコールに逃げていました
ふと気付けば、私も祖父と同じ状態になっていたのです
だから、最近になってよく祖父の事を思い出します
でも、私は祖父のようになりたくはありません
私も不器用にしか生きる事は出来ませんが、つらい時はつらいと言いたいし、楽しい時は笑いたいし、寂しい時は誰かにいて欲しいと思う
自分の正直な気持ちを言葉にすれば、きっと誰かが振り向いてくれると私は信じていたい
ありきたりの言葉でもいい、全然自分の気持ちを表してなくてもいい、そんな事よりも人に自分が今こんな事で悩んでいて、落ち込んでいて、つまづいているんだと分かってもらうことが一番大事だと思う

死に際に涙なんか流すなよ
もっとあなたの話を聞かせて欲しかった
だって、俺たち家族だろ

今、私は祖父にそう言ってあげたい



[141] 最低の自分 投稿者:NEO 投稿日:2009/07/17(Fri) 12:29



今日 母に嘘をついて、学校を休んだ。
昨日、友人たちから、キレメールをもらってこわかった。

強くなりたい、強くなって、歩きたい。

自分が情けない、強くなりたい、今はただ、強くなりたい。





[140] 聞いてほしいだけ 投稿者:REG 投稿日:2009/04/18(Sat) 23:04



学校に、行かなくなって3年たった

母親が、親父と別れて、3年たった
いくら普通の顔をしていても、母親の笑顔が少なくなった気がする。

昔、部活で陸上部のころ、毎日ただ走っていた、それでも充実していた。
いま 腐った目の自分を自分自身が嫌でしょうがない。

母親のカレーのにおいがする、今日も母は、帰ってこない。

家で、帰ってくるの待つことより、無くなってしまいたい。

何も記憶さえも、無くして消えてしまいたい。






[139] 遠いです 投稿者:sin 投稿日:2008/07/02(Wed) 08:36


いま中学2年です、学校に、行こうとして玄関に、靴を履くことがこわいです
学校が、遠くて 勉強も嫌いじゃないけど、母親も心配するそれは、つらいけど

でも 学校には行けない、遠い




[138] 学生時代 投稿者:裕樹 投稿日:2008/03/19(Wed) 10:55


高校時代は、自転車に乗って、どこにでも行っていました。
1日100キロも疲れなくかえってさわやかになりました。

2年前 就職を目指して、数十社面接を受けましたがすべて落ちました。
友人もたくさんいました、みんな決まって就職先に勤めていきました。

なんとしてでも、早く決めて 両親を安心させたかった。
でも あせれば、あせるほど決まりませんでした。

そのうち、部屋から出なくなり、昼と夜が逆転して、だんだんひきこもりがちになりました。

いま 誰かの視線が、怖いです、将来が見えません。
でも あきらめたくないまだ間に合うと信じたい。

春になる、何度目の春か・・・・・・







[137] 離婚 投稿者:クルー 投稿日:2007/08/18(Sat) 10:41



私の父と母は、去年 離婚しました。
父親のギャンブルと家に帰らなくなったことで、母親と喧嘩がたえなくなり、そんなことが3年続いての離婚でした。
私も、毎日が居たたまれなくて、辛くて、ひきこもりのような状態で、生活していました。

睡眠もあまりとれなくて、頭も重い日々が続きました。

それから1年高校は辞めましたが、偶々偶然に友達が誘ってくれた仕事スポーツショップの接客の仕事につきました。
私には、あっているようで、辛くても怒られても 今までの辛さを考えたらなんともありませんでした。
それから一人暮らしを始め、新しい街に2号店ができたので、そちらに移って働いています。
母親も、音楽の教師に戻って非常勤ですが、高校で教えています。
離婚した、父親には、連絡もしていませんが、風のうわさで結婚してと聞きました。
それは、それでよかったと思っています。

みんな辛くてもぜったい良いことがある、ひきこもりはきっと人生の通過点だから、希望をわすれないでいてほしい。
わたしもこれからどうなるか解らないけど、頑張る熱意はこの頃でてきました。




[136] 贈り物 投稿者:えいぶる 投稿日:2007/06/28(Thu) 12:58



僕は、高校1年生に今年の春なった。
僕の家は、母と弟と3人家族です。
いま 僕も弟も新聞配達を朝しています、朝3時に起きるので ほとんど毎晩9時には寝ます。

今朝 朝 起きると 食卓の上に「携帯電話」と手紙があった。

手紙には あなたが前からほしかったのは知っていました でも みんながもっているから、この携帯を買ったのではないです、あなたが高校生になったから買ったのでもないです。

あなたが、大人で 社会モラルをわかっているとわかったから 買いました、たいせつに使ってください。

と手紙に書いていました。


うれしくて 大きな声を出しそうになりましたが、考えてもう少し 我慢することにしました。

大学には、新聞奨学生で通うと考えています。
まだ 自分には、携帯を使うほど大人でもないし、将来 自分のお金で利用できるまで、使わないつもりです。

でも この携帯は、大切に取っておきます、その時まで、大切な贈り物なので。






[135] ひきこもり 投稿者:赤い鳩 投稿日:2007/04/27(Fri) 12:19


僕は、もうすぐ 自分の部屋にひきこもって1年がたちます。
あっという間に、1年が過ぎました。

いま 時間の速さと、自分のこれからの生き方について考えています。

学校も、行かなくなってずいぶん時間がたちました。
友達は、みんなどうしているのか遠い昔のような気がします。
春から夏 そして秋から冬 季節が動いていきます。
僕のこれからは、かわりません、まったくかわりません。




[134] 投稿者:慶子 投稿日:2007/04/12(Thu) 13:13


つらいときに鏡の中の、自分の顔をのぞいてみる。
まだ、だいじょうぶ つらいけど まだ我慢できる。
鏡の中の 自分の顔に話しかける。
まだ、だいじょうぶ 笑ってみて 笑ってみて。

いじめ 自分のこと 友達のこと へんなこだわり

いじめ 負けない いじめ 負けない いじめ 負けない。


私が めげて負けると、これからなんでも逃げる人間になる。

いじめ こわくない いじめ 負けない。


 


[133] あせる気持ち いまの気持ち 投稿者: 投稿日:2007/03/07(Wed) 12:32



小さいときから、僕の両親は、不仲でした、いつも喧嘩ばかり、怒鳴りあいの夫婦喧嘩のときは、隣の家に逃げに走りました。

地元の中学校に入り、部活で仲間もできました、でも 親の喧嘩や、家庭の雰囲気は、相変わらずでした。

僕の高校受験のことで、僕の前で、喧嘩をしたときは、「けんかをしないで、頭が悪いのは、僕だからと」親に叫んでいました。

悲しい気持ちのまま、受験 そして 志望校には、合格しませんでした。

家庭が、僕の癒し 疲れをとる、のんびりできるとこでは、なくなってきて、だんだん自宅に戻らない日々が続きました。


そのうち、万引きや、補導、など非行に走ったりしました。

親は、その時 やっと 正面から僕に理解を示し、家庭の安泰を心がけてくれました。

今 通信制の高校に、通っています、将来は、不登校・非行・いじめなどに取り組める、教師を目指したいと考えています。

自分の経験が、生かせて、そして親に、子供のことを、きちんと理解してもらいたいから、いつか 教師になりたい。

自分の目標です。




[132] 不登校 投稿者:アラ 投稿日:2007/01/09(Tue) 21:24



一度 学校に行けませんでした、また 学校に行けませんでした二度目です。
学校には、みんな 敵ばかり、味方は、いません。

死にたいと思ったこともあったけど、才能も、能力も無い私には 残された道はないと思いました。

学校に行けなくても、行かなくても 勉強はできる 思いは通じるはずです。

17歳の 僕には、これから先 信じられること、信じられる人が現れると信じています。

18歳になる前に、人を信じたい。

  



[131] こころが 投稿者:沙紀 投稿日:2006/12/21(Thu) 07:42


兄に言われました、学校に行けないことは、行けないのは、自分が弱いからだと。

父親に言われました、勇気をもって負けるなと。

母親は、いま仕事のことで、私の相談には、悪いし、すこし煩わしそうで・・・祖母と父親は私のことで、喧嘩ばかりです。


何度も、学校に行きました、クラブの仲間だった友達が、いっさい無視されて、先生も知っているとおもうけど、もう私には、友達と呼べる人は、一人もいない。

幸福という言葉が、見えない、自分のこころが見えない。

だれとも向き合うことも、話も聞けない、たいせつなものは何ですか?

生きることって何ですか・・・。

 


[130] いじめ 投稿者:まこと 投稿日:2006/11/07(Tue) 09:29


僕も、以前 いじめに会っていた本人です。
いま 18歳だから、3年ほど前です。
勿論 今考えると、自分はすこし周りの人と、違う雰囲気や行動があってと思います。

学校は、管理 管理でがんじがらめ、僕も、友達も、先生も 親も みんな自信が無かった気がする。

個人が軽く見られて、団体や体制が、大切にされていた学校、住んでいたところも、田舎で、警察とか、役所とか学校とかが強く、権力があった。

そんな、周りや、他人に振り回されやすい、地域や学校が嫌で、家出をしました。

そしたら、 親に見つかって、話し合って、親戚の家に預けられました。

そこは、以前の街より、大きくて都会で、周りは 何の強制も、なく 自分のことは、自分 好きにやってもいいけど、責任は、自分で取ると そんな感じでした。

キツイ部分もたくさんあって、でも住みやすかった。

それから、自分の道を考え出しました、いじめにあっていたころの 自分の弱さも見えてきました。

いま 専門学校で、お菓子の勉強をしています。
もともと 甘いものは好きだし、パテシエに興味があったので。

最後に、この頃の いじめのニュースを見て、思うことは、
子供が 社会に警告を発していると思います。
自分の命を懸けた、警告を社会に、国に発していると思います。
社会は、その命の叫びを、耳や体など、五感のすべてで聞いてください。

子どもたち、みんな、悩みや、苦しみは違います、聞いてください、こどもたちの叫びを、耳を澄まして。

    


[129] 途方にくれています。 投稿者:無職兄を持つ妹 投稿日:2006/10/26(Thu) 10:52


私は、35歳、会社員です。
兄が定職につかず、困っています。
兄は、高校卒業後、実家を離れ、東京のIT企業に就職しました。ですが1年もたたないうちに退職し、職を転々としていたようです。その後は、パチンコとアルバイトでつなぎながらなんとか暮らしていたようですが、金銭的にどうしようもなくなり、実家へ戻ってきました。

戻ってきても、アルバイト(3ヶ月続くことはまずない)でパチンコ代や、飲み代を稼ぐだけのその日暮らしで、38歳になった先月からは、ずっと無職です。さらに、借金もあるようです。
父も、母ももう年金をもらっていますが、このまま兄がこの暮らしを続けいくことを考えると、本当に気が重い毎日です。
兄は、たまに母に暴力もふるっているようで、おびえて暮らしています。

どうやったら兄は、自立できるのでしょうか。。
このままだと家族共倒れになりそうです。






[128] 子供と 投稿者:バカ父 投稿日:2006/09/26(Tue) 09:48


仕事、仕事で子供のこと、家族のこと、考えていない日々が続きました。
子供と正面から、向き合って話をしていませんでした。
子供の気持ちを、考えていませんでした、そんなとき子供の不登校が始まりました。
あんなに、やさしかったあの子も、はにかみ屋で、恥ずかしがり屋、引っ込み思案で困ったこともありました。

部屋の前で、何度も、何度も子供に問いかけました。
返事は、一切ありません、ですが、その拒絶した、声なき声が、私に対する返事でした。

兄弟が、無く育てたので、母親が一番の話し相手でした。
私は、仕事にかまけて、子供のこと、心で気にかけていたと
言ってもいい訳ですね。

いま 職場、仕事のことを、一時 離れて、家庭を、家族のことを、はじめから考えたいと感じています。

不登校になった、子供に毎日 手紙を部屋の隙間から、渡そうと考えています。
まだ 子供は13歳 これからの人生 一度や、二度の躓きは、何度でも取り戻せます。

そう信じて、毎日 手紙を書きます。
今日、そして明日も・・・・・


[127] 私の宝物 投稿者:ハイビスカス 投稿日:2006/08/18(Fri) 10:08


息子が幼い頃、母の日にくれた手紙。

「おかあさん、いつもありがとう」
クレヨンでかかれた文字。絵の中の私は笑っている。

家庭の中に、今、笑顔はありません。
近所の子供たちのはしゃぐ声がまぶしい。

私は、自分がいい母親だと思っていたんです。

でも
夫が宗教にはまり、息子は学校にいかなくなりました。

これから先にあるものは・・
息子の将来が、ほんとうに心配でなりません。


[126] 黒い空 投稿者: 投稿日:2006/08/05(Sat) 21:34



朝 空を見上げました・・・黒い空でした。

学校にいけなくなった、あの日から もう7ヵ月 信じることが恐くて、ただ 叫びたかった。

いじめは、いやだった、でも それ以上に 友だちから 親から 見下される 自分自身が嫌だった 切なかった。

青い空を見上げても、何も見えなくて、だまって 唾を吐いた。

何もわかっていない自分、でも 昔と変わった・・・・・いつもそう信じたかった、いや そう 信じていた。

でも でも 変わっていなかった、友達も一人もいなかった。


学校が牢獄に見えた。



[125] アルバム 投稿者:風鈴 投稿日:2006/07/21(Fri) 13:34


自分の生んだ子供なのに、どう接していいか・・
毎日我が子の言動に、びくびくしながら生活している状態です。本人には到底言えませんが、なにがしたいのか、どうしてほしいのか、全くもって分からず、夫も帰りが遅いので、なかなか相談する時間も有りません。

子供が小さい頃のアルバムを見ながら、ため息の毎日です。

相談したところからは、過干渉がいけないといわれ、迷いながらも実行しようと努めています。

なかなか前にすすんでいるように感じませんが、それでもあきらめずにいようと思っています。
できることなら、ニコニコ笑顔ですごしていたあの頃の娘にもどってほしい。ただそれだけです。


[124] チョコレート 投稿者:KIYOKO 投稿日:2006/06/17(Sat) 21:26


不登校になりたくて、なったんじゃない。
汚いといわれた10歳のとき 自分が嫌いになった。
別の私が違う私に云った、傷つかなくていいの、もうがんばらないで、これからは幸せにならなくてもいい。

「うざい」と云われてもいい、学校にはもう行かない。
将来 生活できなくてもいい、普通の大人になれなくてもいい。

今の自分が楽になりたい、楽になれればいい。
ただそれだけでいい。



[123] 愛情 投稿者: 投稿日:2006/06/04(Sun) 21:53


私はてんかん持ちです、もう8年も辛い毎日です。
人と会うことは、苦手です、話すことも嫌いです。

私の両親は共働きで、長女だからという理由で私だけ家事をしていました。
親は毎日、午後8時に戻りますので、それまでに食事をしていました。
自分が家事をしている横で弟はテレビを見て、いつも 2度食事をしていました。
塾にも、遊びにも行けないで、友だちができないと、親に言いました、全然、取り合わず、そして無視されました。

中学の時は成績も悪く、親ともあまり話が出来ず、大人を誰も信用できなくなっていました。
理由は、母親の悪口を毎日、祖父母から聞かされていたからかもしれません。

そのころ祖父は体が悪く毎日通院していました。
母親は、祖父母には冷たい気が、子供心にも感じていました・・・。

子供の頃からどうやって甘えたらいいのかわからないままで過ごしてきてしまったと思います。
愛情を感じられないまま、育ってきた、そう思います。
いま、ひきこもりの様な生活、人が苦手、そして親が嫌い。

愛情が、暖かさがわからないのです、家族の温もりが理解できないのです。
鬱のような、日も有ります、20歳になる今、将来が不安です、そして、毎日が不安です。

窓から富士山が見える日があります、昔は良く見ていました、此の頃はあまり、見ていません。